鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

わたしはあなた方を友と呼ぶ(石川孝司牧師を偲ぶ)

28日〜29日の教職研修会で川崎・宿河原教会の石川兼子牧師にお会いしました。研修会に着いたのは夕食時で、石川兼子牧師のテーブルが空いていたので同席して食べることにしました。同牧師にお話があったからでした。大分前に宿河原教会から原稿の依頼をいただいていたのです。石川兼子牧師のお連れ合い、石川孝司牧師は2006年3月19日に召天されました。それからまもなく、石川孝司牧師の記念誌を発行するので、思い出を書くことが求められていました。心に留めていましたが、忙しさのあまり失念してしまいました。そのことをお詫びしたかったのです。原稿はすでに印刷所へ渡されており、まもなく記念誌が出来上がってくるということでした。本当に申し訳ないことをしました。それで、記念誌には書くことが出来ませんでしたが、この日記で石川孝司先生を偲ぶことにしました。
私は日本聖書神学校に20回生として入学しましたが、石川孝司先生は19回生として入学しております。しかし、私は途中で留年したので、卒業は21回生になります。入学当初は、石川先生は学年が一つ上でありますが、その頃、若々しかったので、年齢的にも私とさほど変わらないと思っていました。しかし、先生は私より6歳も年上であることを卒業してから知ったのでした。神学生として在学中、その頃、文化祭のようなものを開催しました。石川先生はクラスをまとめて劇を上演しましたが、私も自分のクラスをまとめて、自ら脚本を書き、劇を上演しました。先生といつも張り合っていたように思います。翌年も文化祭を開催しました。ライバルは石川先生であり、彼の上を行くような劇を作ろうと、神学の勉強もしないで脚本を書いたように思います。文化祭が終わったとき、石川先生は私の脚本をほめてくださり、ライバルにほめられて、なんか照れくさい思いもありました。懐かしい思い出です。
それぞれ卒業し、石川先生は宿河原教会に、私は東京の青山教会から東北の陸前古川教会に赴任していました。日本基督教協議会宗教研究所が研修会を開催しました。毎年開催していますが、その年は「カトリック教会を学ぶ」とのテーマでしたので参加しました。その研修会には石川先生も参加しておられ、5、6年ぶりにお会いしたのでした。宿泊もカトリックの研修センターでありました。一日のプログラムが終わり、自由時間になったとき、ロビーで昔話に花を咲かせたのでした。久しぶりに会ったので話が尽きず、夜中の12時近くになっていました。つい声も大きくなってしまったようです。すでに就寝している人が、クレームをつけに来ました。お詫びし、それを合図に私たちも休むことにしたのです。
石川先生ご夫妻は学童保育に取り組んでおられました。随分と長く取り組まれたと思います。今回の研修会で学童保育の様子をお尋ねしましたら、川崎の公的機関が受け持つことになり、終わりとなったことを聞きました。それにしても長い間、本当にご苦労さまでした。当教会の佐竹拓平君が日本聖書神学校に入学し、神学生として奉仕教会を決めたとき、宿河原教会でお世話になることになりました。佐竹神学生は教会の奉仕と共に、学童保育に関わることで、随分と訓練されたようです。その佐竹神学生は、今は川崎境町教会の牧師として、また園長としての務めを持っており、訓練されたことが力となっていると思います。
私も神奈川教区内の教会に赴任することになったので、石川先生とは何かとお会いすることになりました。先生が病気で入院されたことがありました。ちょうど川崎で開かれた会議の後で、数人の牧師たちとお見舞いしました。その頃、私は神奈川教区の議長であったと思います。お見舞いをして、牧師たちは帰り始めました。本来なら、お祈りをして帰るべきですので、その旨を一同に告げますと、「私のお祈りは効かないから」等と冗談を言う牧師がいるのです。それで私が代表して先生のご回復を覚えてお祈りしました。その後、先生は退院され、お会いしたとき、「鈴木先生のお祈りはよく効きますね」と礼を述べられたのでした。
実直な先生であったと思います。一人ひとりに真実に関わる先生であったと思います。
聖書の言葉
「わたしはあなた方を友と呼ぶ。」(ヨハネによる福音書15章15節)