鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

憩いの水のほとり…(教職研修会)

神奈川教区の教職研修会が昨日より本日の昼まで開催されました。葉山の湘南国際村社会経済生産性本部国際交流センターが会場です。28日午後5時開会ですが、昨日は餅つき大会があり、終わってからも子どもの教会の担当者会があり、会場に着いたのは午後6時20分頃で、夕食の最中でした。
今回の主題は「牧師のメンタルケア」ということで、黒木宣夫氏(東邦大学医療センター佐倉病院精神神経医学研究室)から講演をいただきました。いつの時代も言えますが、社会の中で精神的に苦しんでいる人々がおります。どのようにケアしたらよいか、またそれらの人々にどのように向かうかを示されたと思います。
研修会は一泊であり、夜はそれぞれ遅くまで懇談し交わりの時を持ちました。29日午前9時からは「教区アワー」ということで、教団・教区の状況が報告され、参加者一人一人が状況報告を行いました。前日の講演には50名が出席しましたが、宿泊したのは27名であり、朝食後に帰った人もいるので、教区アワーに出席したのは23名でした。50名の講演出席者は牧師ばかりではなく信徒の皆さんも出席しての人数です。
教区アワーでは、それぞれが状況報告を行いましたが、高齢となっている牧師達は身の振り方についてしみじみとお話するのでした。77歳になる牧師は、4人のお子さん達から、「もう隠退するように」と勧められています。それに対して、「隠退を勧めた者が、自分を引き取ってくれるなら隠退する」とお子さん達に言われたそうです。そしたら、4人のお子さんは誰も隠退を勧めなくなったと言うのでした。また、70歳になる牧師は、隠退しないで無任所牧師を続けると言われます。教団の年金局は財源確保で奮闘しており、受給を遅らせることで年金局に協力していると言われるのでした。70歳近くになると、いつ牧師を辞めるのか、いろいろな思惑をもちながら過ごしています。まだ働けると思いますが、身体的にもあちらこちらが傷んでいることを知るのです。耳が聞こえにくくなったとか、視力が弱ったとか、頭の回転が鈍くなったとか、聞きながらも身にしみる報告でありました。
教区の牧師研修会について、もっと内容のある研修にすべきであるとの意見がありました。牧師の研修会であるのだから、神学的・牧会的な学びをすべきだと言うのです。以前、私自身、この研修委員会の委員長を務めました。私が委員長を務める前からも取り組んでいることですが、いろいろな社会、外の状況を学ぶことが必要であるということです。そのため仏教のお坊さんやイスラム教の人等からお話しを伺っています。新興宗教についての研修をしたこともありました。さらに、昔は映画のフイルムを借りてきて上映したこともありました。今の研修委員会はこのところ精神的な取り組みをしており、今回の主題で開催したのでした。
何を学ぶかも大切です。しかし、何よりも研修会ではありますが、牧師の休息の時であることこそ必要であると述べたのは、当教会の佐竹順子さんでした。佐竹さんも教区研修委員会の委員を務めています。「牧師先生は休息することが必要です。疲れたお顔で信徒の前に現れるのではなく、ゆっくりお休みになり、お元気なお姿を拝見することで、信徒は喜びであり、力を与えられます」と言われるのでした。まさにその通りだと思います。牧師は忙しすぎるのです。教会の職務と共に、幼稚園があれば携わり、いろいろな活動にも関わらなければなりません。自分の教会のみの職務とし、他の活動は一切しないでください、との姿勢を持つ教会があります。それはそれで大切ですが、社会の中にある教会として、その社会の牧師でもあるのです。おかれている社会の牧師としての使命があるのではないでしょうか。
教職研修会は本日の昼食をもって終わりました。この葉山から私の実家、六浦の家は近くです。帰りに立ち寄り、そのまま休息することにしました。とは言え、この六浦の家でブログ日記を書いているのですから、休息と言えるのでしょうか。
聖書の言葉
「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。」(詩編23編2節)