鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

収めきれない書物…(執筆活動)

二番目の娘・星子が、「少し早いけど、お祝い」と言いつつプレゼントを渡してくれました。何のお祝いか分かりませんので、その意味を尋ねますと、「もうすぐ、ブログのゲスト10,000になるでしょう」と言うのです。そう言えば、ブログを書きながらカウントを見ています。18日午後7時現在のカウントは、9,873名のゲストさんでした。残り127ゲストさんです。一日、30前後ですから、後4、5日で達成するでしょう。カウント10,000人目の方はご連絡くだされば、ささやかな記念品を差し上げます。星子からのお祝いの品物はプラチウムの三機能ボールペンでした。とても書きやすく、喜びましたが、それよりも10,000という数字を祝福してくれたことが、何よりもうれしく思いました。
思えば、このブログを書き始めたのは昨年の6月でした。それよりも半年前から、職員の佐竹和平さんが園長のブログを設定し、まもなく開設と予告しました。とは言うものの、なかなか書き始めませんでした。分かっていたのです。私が、もしブログを書き始めるようになると、はまってしまうということを。日々、多忙のうちに過ごしていますので、いつから始めようかと迷っていました。5月は教団の各教区総会が開かれ、教団三役が分担して教区を訪問し、挨拶を述べるのです。そんな忙しい日々を過ごした5月でしたが、6月になって、設定されているブログに気持ちが動き始めました。そして、書き始めたのです。やっぱりはまってしまいました。それからは、ひたすらブログを書くことに集中しています。しかし、ブログはその日のことだけを書くとしたら味気ないものです。それで、関わることの思い出や歴史の流れ等を書き加えながら記すようになりました。そのような書き方は、一年も続けたら種切れになるでしょう。そのため、聖地旅行記を記したり、昔の「牧会詩」なるものを記したりしています。私が隠退したら、更に歴史の出来事を記そうかと思っています。今は現職なので差しさわりがあるので、現在関わっている分野に対する論評は避けています。小説等も書いたら面白いかなと思っています。
私は少年の頃から書くことに対しては気持ちが動いていました。小学校4年生の頃、書いた詩が先生に褒められたことが機縁になっていると思います。高校生の頃は、スケッチブックのごとく、ノートを常に持っており、ちょっとした時間があれば、その場の状況を書いていました。私はそれを「スケッチ」と称し、常にスケッチをしていたのです。そういう中から、小説家になろうと思ったりしましたが、神様の召しをいただき牧師になりました。文章を書くということは、私に与えられた賜物と思っています。
神学生時代にクラスの文集を作りました。そのとき、「雲と信仰」と題して山村慕鳥論を発表しました。神学の勉強もしないで文学にはまっていたことが思い出されます。宮城県の陸前古川教会に在任していた頃、幼稚園があっても園長ではなかったので、教会に専念していました。しかし、礼拝出席17、8名の教会で牧会に専念するといっても、多くの時間の余裕がありました。その時間の余裕で書いたのが、「鳴子こけしの歌」でした。これは、隣の鳴子教会牧師のお連れ合い、高橋万三郎さんの半世記を記したものです。クリスチャン新聞が「証文学賞」を募集しましたので、応募するために万三郎さんの証をまとめたのでした。残念ながら「佳作」という評価でした。東北の冬はひたすら家に引きこもっているのですが、コタツに当たりながら、毎日のように小説を書いていたときもありました。原稿用紙100枚くらい書いて応募したことがありますが、もちろん落選でした。いまでもその原稿があります。読む気にもなりませんが、きっとどこかで発表してしまうのではないでしょうか。大塚平安教会に赴任してからは、およそ、ゆっくりと書いている時間がありません。そしたら、ブログという新しい執筆の世界が開かれたのです。
そういう意味で、ゲストさんの10,000人目の人がとてもうれしく思います。ブログをお読みくださり、ありがとうございます。
聖書の言葉
「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」(ヨハネによる福音書21章25節)