鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

良きものを残しつつ(お正月行事・お正月遊び)

年末年始の施設の礼拝は二回ほどお休みとなり、年が明けて11日からは綾瀬ホーム、12日からはさがみ野ホームの礼拝が始まりました。今日はさがみ野ホームの礼拝です。以前は8時30分からの開始でしたが、次第に遅くなり、今は9時15分からの開始になっていることについては、以前このブログに記しています。礼拝を行う集会室には利用者や職員の書初めが展示されていました。それぞれの書初めを楽しく拝見しました。「いのしし」「はる」「そら」「ほし」等と書かれており、一つ一つの作品に賞がつけられていました。園長の作品は「腹八分目」で、ユーモア賞でした。園長は年末に胆石除去の手術をしているので、身にしみて書いたのでしょう。その後の努力が伝わってくるようです。
書初めということも、今では珍しくなっています。いわゆるお正月行事やお正月遊びは無くなりつつあります。お正月といえば凧揚げをしたものですが、今は凧上げをするような場所がありません。学校の校庭くらいかと思われますが、休み中は入れるのでしょうか。「回想のお正月」をこのブログで記しましたが、今はお正月といっても、御節料理を作る必要が無く、コンビニで売っているわけです。今の時代、お正月の特徴を探すのが困難なのではないでしょうか。その意味でも、ドレーパー記念幼稚園は年が明けるとお正月遊びをいたしますが、良い思い出を作るでしょう。園長が独楽を回して見せたことについては記しました。最初の二回は失敗してしまったこと。昨年から一年ぶりになります。三回目にまわすことが出来たので面目を失うことはありませんでしたが、実は失敗したことが心に残って、夜になってホールに行き、練習しました。何回かまわしているうちに、独楽紐のつけ方が重要であること、独楽の投げ方等のコツ等を改めて思い出しました。年取った園長が、誰もいないホールで一生懸命に独楽回しをしている姿を想像されている皆さんは、ニヤニヤされているのではないでしょうか。
若い先生たちもお正月遊びについては、あまり経験が無いようです。子ども達に羽根突きを教えていましたが、先生自身、羽子板の絵の描いてある面で羽根を突いているのです。絵の面ではなく、反対側の何も描いてない面で羽根を突かなければならないのです。
お正月遊びとしてカルタ遊びが始まります。ジャンボカルタがあります。約20×30センチ幅の大きなカルタを床に並べ、先生が読むと走っていって取るわけです。「犬も歩けば棒にあたる」とは昔の「いろはカルタ」でした。ジャンボカルタはこんな文句になっています。「あかちゃんにこにこわらってる」「いつもえがおのやさしいおかあさん」「うさぎはぴょんぴょんはやいな」「えほんみるのはたのしいな」等、毎日の生活のことが言葉になっています。その他、「かいしゃでおしごとおとうさん」、「なんでもたべるこじょうぶなこ」等もあります。カルタ取りをしながら自然に字を覚えていきますし、生活習慣を身に着けることが出来るのです。画面を見つめてゲームに集中するのではなく、お正月遊びを家族で楽しむことは大切なことでありましょう。
お正月遊びには「福笑い」があります。目隠しをして「おかめ」の顔に目や鼻、口等を置いていき、「おかめ」の顔に仕上げるというものです。目隠ししていますから、変な顔になってしまいます。それで大笑いになるのです。昔は私も楽しんだものでした。しかし、「福笑い」で楽しむことはいけないことであることを知るようになります。何故なら目隠しをするということは盲人の真似をすることになります。それにより、変な顔を作り上げて笑いあうのですから、盲人を笑いものにしているようです。関連して夏の「スイカ割」も同じことが言えるのです。幼稚園でも昔の一泊保育でスイカ割をしていましたが、今はしていません。そんなことをしなくても、スイカをおいしくいただけるのです。
お正月行事、お正月遊び、良いものは後々まで残していきたいものです。
聖書の言葉
「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。」(使徒言行録17章32節)