感想(聖地旅行 11)
1月6日、聖地訪問の旅は終わった。朝、9時30分にはカイロ空港からソウルに向けて飛び立った。駆け足で聖地を訪ねた印象である。ゆっくりと訪ね、思いを馳せ、考えてみる、そういう旅であったらと誰もが言う。
訪ねて参考になったのは「距離」である。例えば、ベタニアからエルサレムは丘の向こうに見ることが出来る距離である。いつもエルサレムを見つめていられる距離なのである。イエス様の最後の一週間は、まずエルサレムに入城し、人々の歓迎を受ける。その後、神殿に行き、そこで商売をしている人たちを追い出している。もはや夕刻であり、エルサレムを出てベタニアに行き、そこに泊まったことが記されている(マタイによる福音書21章17節)。ペトロの家とシナゴグが隣近所であることも、考えてもいなかったので印象に残った。
全体を通しての感想はアラブの世界は石の文化であるということ。山といえば緑の印象があるが、地上から岩が立ち上がっているのである。赤銅色の山がにょきにょき立ちあがてっいる。また、平野といえば砂漠である。そういう中に町があるが、ここも石造りの家が立ち並んでいる。ガリラヤに行ってほっとするのは花と緑の世界だからである。イエス様は花と緑の平和な世界から、石の世界へと赴き、十字架にかけられたということである。
こちらばかりではないが、外国はすべてチップの世界である。何かしてもらうとチップを払う。エジプトのトイレに男性が立っていて、ドアーをあけてくれる。手を洗えばティッシュをくれる。その度にチップを渡す。空港で荷物を送り出したら、荷物係りがチップを請求する。ラクダに乗ったときも、料金を払っているのに、降りるときにはチップを渡さなければならない。ホテルに泊まったら、枕元にチップを置いておかなければならない。アメリカ等もチップの世界だと聞く。チップで生活している人が多いのである。
物乞いが多いことも印象的であった。シナイでもエルサレムでも物を求められた。シナイ山から下山途中、土地の少年が肩に掛けている水筒サック(大韓航空でもらったもの)を欲しがり、いつまでもついてくるので、ついにあげてしまった。根気負けである。「ダビデの子よ、救いたまえ」と率直に叫ぶ、信仰の原点なのかもしれない。
日付が変わって、1月7日午前7時20分にソウルに着いた。此処で皆さんとお別れである。10日間、共に駆け足で回ったので親しみがわいている。東京・成田行きは9時30分発である。成田には11時30分に着く。この日は日曜日、ちょうど飛行機に乗っている頃が主日礼拝をささげているときである。飛行機の中でそのことが示され、共に祈りをささげたのであった。成田で入国手続き等をしたり、午後1時頃には成田を出、午後3時過ぎに帰宅したのであった。
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<10年前に聖地旅行をし、メモを取っていたので、ほとんどそのまま写しました。多少、書き加え、訂正した部分もあります。辛抱してお読みくださり感謝です。明日からはまたいつもの日記になります。時々開いて下さるとうれしいです。そう言えば、聖地旅行記を掲載していたので、新年のご挨拶を述べていませんでした。あけましておめでとうございます。今年も皆さんとのお交わりを導かれながら歩みたいと願っています。皆様の上に祝福が豊かにありますようお祈り申し上げます。>
聖書の言葉
「言っておくが、この人たちが黙れば、石が叫びだす。」(ルカによる福音書19章40節)