鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

カイロにて(聖地旅行 10)

1月5日、テルアブブから再びカイロに向かう。イスラエルを出国するのであるが、出国がかなり厳しく、3時間待たされた。疲労が重なる頃、ようやく出国できた。イスラエルからエジプトのカイロまでは1時間15分である。それでも機内食が出る。もっともカイロに着いたのは12時であるので昼食時でもある。小さい飛行機で心配でもあったが無事に着いた。カイロに着くなり、バスで見学が始まった。コプト教会、此処はイエス様が幼少のみぎり、過ごしたところである。ベツレヘムで生まれたイエス様であるが、時のヘロデ王は新しい王が生まれたことを博士たちから聞き、見つけたら知らせるようにと博士たちに言う。博士たちはベツレヘムでイエス様に会ってひれ伏した。そして、宝の箱を開けて黄金、乳香、没薬を贈り物としたのである。博士たちは夢でヘロデ王のところには行くなとのお告げを受け、別の道を通って帰って行った。それを知ったヘロデ王は怒り、2歳以下の男の子を殺させたのである。ヨセフとマリアはエジプトへ逃れるように示された。そして、しばしエジプト滞在になったのである。
エジプトのコプト教が始まるのはこのころであり、エレサレムの神殿の中にもコプト教の祭壇があった。主イエス様がいつ頃でまでであったか、とにかく幼少の時代此処で過ごしたことが原点となっている。ヨセフとマリアが過ごしたという住居跡も訪ねた。なんだか裏長屋のような印象でもある。エジプトのキリスト教はヨセフとマリア、イエスの信仰があるが、十字架と復活の信仰は分からない。キリスト教の信仰がかなりあると思われるが、ずいぶんと異なったキリスト教に思えた。
聖書の国はイスラエルであるが、歴史を通してエジプトと関係する。ヤコブの時代にエジプトに寄留することになり、そのことで奴隷の生活となる。寄留と奴隷の400年間が過ぎる。それがモーセ出エジプトなのである。我々の旅は出エジプトから始まり、シナイからイスラエルに赴いた足跡を辿った。そして、最後にイエス様がヘロデ王に追われてエジプトに逃れた。その場所に来たわけである。イスラエルとエジプトとの係りは歴史の中にも繰り返し出てくる。大国エジプトに頼るかバビロンに傾くかの葛藤が常にあったのである。
エス様の幼少の時代を訪ねた後、博物館に行った。此処を見学するには一週間はかかると言われる。ツタンカーメンは日本にも展示された。金色に輝く人体の形はまさに芸術品である。エジプトの長い歴史を数多く展示しているが、見るのに疲れてしまう。あまり見ないで通りすぎてしまった。
その後はエジプトのスフィンクス、ピラミッドを訪れた。スフィンクスでは大音響でいろいろ各国の言葉で紹介している。日本語でも紹介がされていることを思うと、多くの日本人が訪ねていることが示される。ピラミッドの中に入ったが、狭く細い階段を苦労して歩いたことが思い出で何も印象はない。遠くから見るときれいな三角形であるが、そばで見るとごつごつした石の積み上げでもある。よくもこんなに石を積み上げたものだと感心する。ピラミッドの前には当時の装束と思われる衣服を着て、ラクダと共にいる人がいる。チップを払って一緒に写真に納まってもらう。それだけで商売になるのだから、いい商売といえる。いろいろみるうちに夕刻の5時になっていた。結局、ホテルの夕食は止めにし、9時30分頃に夜食のサンドウィッチをホテルが出してくれた。量が多くて一人では食べられない。
聖地旅行は今日でお終いである。明日は帰国の途に着く。今日も一日歩き回り、疲労困憊である。そうそう死海で怪我をしたが、今はすっかり癒えた。塩分の殺菌力と濃い海水を思い知らされた。
聖書の言葉
「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。」(マタイによる福音書2章14節)