鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

ガリラヤ伝道(聖地旅行 8)

1月3日のお昼頃ガリラヤ湖に着いた。早速、昼食を食べたが、名物はピーターズフィッシュである。ペトロの魚である。魚を揚げたものであり、淡白な味で、私にはおいしかった。味が淡白なので、食べない人もいた。旅行の携帯品に醤油の勧めがあったので持参した。この魚にはよく合う。参加者の中には持ってこない人があり、持っている人はワンダラと言いながら分けてあげていた。
食事が終わると、ガリラヤ湖で船に乗った。「イエスの舟」という。イエス様の時代の舟というが、もっと小さいと思う。乗った舟は遊覧船であり、かなり大きい。湖の中ほどに来たら船を操る人が、弟子(ペトロ)の姿をして投網をして見せた。もちろん、魚をとるためではない。記念の写真を写させるためである。船のマストに日の丸が掲げられた。君が代が流れてくると、ガイドか一同に歌うことを勧め、自ら大きな声で歌っていた。なんかしらけてしまう状況になった。
『主が乗りし同じものだとイエスの舟投網を見せるガリラヤの人』
ガリラヤは、ここでイエス様が宣教したところである。イエス様の足跡であるペトロの家、シナゴグ、山上の説教の場所、山上の垂訓教会を訪ねる。復活のイエス様が漁をしているペトロ達に声をかけた浜辺は、もっと広い浜辺かと思ったが、意外とこじんまりとした浜辺であった。山上の説教の場所はなだらかな斜面であり、見つめているとなんとなくイエス様のお話が聞こえてくる思いであった。
『主が受けたヨルダン川の洗礼に恵みがあるとならう人々』
『山上でみこころ示す主の姿ガリラヤの地で思いを馳せる』
『主が住みしペトロの家とシナゴグはほんの目の先認識あらた』
ガリラヤの主の足跡を訪ねているうちにも、美しい花にまみえる。聖地の花を写しては絵葉書にしている人は、そんなに苦労しないでも美しい花を写せることがわかった。どんなに苦労して写したものだろうと思っていたが、これなら私も写した花の写真で絵葉書が出来る。
その日はガリラヤ湖の辺にあるホテルに宿泊した。部屋の外はすぐガリラヤ湖である。夕闇迫る湖面をすれすれに何の鳥か隊をなして飛んでいった。美しい光景であった。この夜は温泉に入ることになっていた。水着で入るらしい。経験にもなるが入らないことにした。実は水着は死海浮遊後にホテルの屑入れに捨ててきたのである。死海では湖底が塩の岩石なのでサンダルを持参したが、これも捨ててきた。下着類も洗濯している時間がないので、2、3日着ては捨てている。その分土産物が詰め込まれてくることになっている。山ちゃんは意外に荷物が小さく、土産物が増えていくうちに収納できなくなった。それで、ここで外国旅行用の大きな鞄を購入したのであった。ツアーの参加者が温泉に行っている間に、私と山ちゃんはショッピングに出かけたのであった。
食事が終わるとダイヤモンドの店に案内するとガイドさんが誘ってくれた。これはツアーの日程ではない。どうやらダイヤモンド店とガイドさんは懇意らしい。歩いていける距離である。イスラエルのダイヤモンドは有名らしい。実際に加工していて、参加者の何人かはそれぞれのダイヤを作ってもらっていた。店内はいろいろなダイヤの加工品が陳列されていた。連れ合いに買って帰ろうかと思ったが止めた。こんなに高いものを買ってきて、と言われることは必定である。いろいろなダイヤモンドを見るだけで、それで十分という訳。
1月4日はカナ、ナザレへと向かうことになっている。前記したようにイエス様の生涯を逆に訪ねていることになる。
聖書の言葉
ヨハネが捕らえられた後、イエスガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」(マルコによる福音書1章14-15節)