花と緑のガリラヤ(聖地旅行 7)
一通り教会を訪ねた後はクムラン博物館とホロコースト記念館を訪ねる。ホロコーストとはドイツ・ナチ政権支配下のユダヤ人に対して絶滅計画がされたことである。その悲しみの記念館を見学した。イスラエル・ユダヤ人は歴史を通して悲しみの歩みである。エジプトにおける400年間の奴隷時代、バビロン捕囚50年、紀元70年にローマ軍により滅ぼされ、世界に離散したユダヤ人である。ところが19世紀末にヨーロッパでシオニズム運動が起きてきた。エルサレムのシオンの丘に帰ろうと離散しているユダヤ人に呼びかけたのである。その呼びかけによりパレスチナに多くのユダヤ人が移住する。1947年、パレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分割することが国連総会で決められる。そして、1948年、イスラエルは独立を宣言し、国家が誕生したのである、2000年間消えていた国が再び出来たということである。従って、イスラエルは国が再建されてからまだ50年なのである。
2日の夕刻、疲れた足でホテルに戻った。食後は自由なので、再び旧市街を散歩しようと思ったが、疲れ果てており、また歩くには不安でもあるので、その夜は早めに就寝した。
1月3日はイエス様が生まれたベツレヘムにより、その後はガリラヤへ向かうことになっている。ベツレヘムの聖誕教会は入り口が小さい。建物は仰ぎ見るほどなのに、低く狭い入り口である。イエス様が生まれた場所には金属板がはめ込まれており、訪ねる人は皆その金属板に触れるのである。小さなベッドがあって人形の赤ちゃんが寝かされていた。
『厳かにまつるイエスははるかなる共におられる主はいずこ』
『石の国聖地は人々ひしめいて主の足跡いずくに見るか』
ところで、死海で怪我をした私は、やはりその痛みがあった。少し足を引きずっていた。強い塩分で殺菌されたので化膿に至らないが、その後、あちらこちらと歩き回っているので化膿しないとも限らない。バスの運転手に薬局があったら止めてもらいたいと頼んでおいた。ベツレヘムへの途中、薬局があったので消毒薬とバンドエイドを求めに行くことにした。ツアーの参加者の中に看護婦さんがいて、ガイドと共に一緒に薬局へ同行してくれた。その看護婦さんが消毒薬を買うために化学記号を提示したらすぐに出してくれた。旅行中、消毒してはバンドエイドで抑えていたので、かなり効果があった。化膿しないことが何よりの驚きである。そうそう、死海で塩水をペットボトルに汲んできた。それを使えばよいのであるが、これは記念にもって帰ることにしている。
ベツレヘムからは一路ガリラヤへと向かった。つまり、イエス様はガリラヤから都エルサレムに向かったのであるが、このツアーは逆にイエス様の十字架の死から、イエス様の働きの場であるガリラヤ、そして成長の場であるナザレへと向かうのである。
石の町という印象が強かった。それがガリラヤに向かうにつれ、次第に緑やきれいな花が見えるようになってきた。途中エリコを訪ねる。エリコは旧約・新約聖書にいろいろ登場する町である。ザアカイの木があり記念撮影をした。もちろん聖書の時代の木ではない。そのとき、当時の人々は軽蔑の笑いをもって木の上のザアカイさんを見たのであろう。今は、旅行者は感銘深く上を見上げ、そこにいるザアカイさんを思い浮かべるのであった。途中、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けたヨルダン川に立ち寄った。その一角が広くなっており、洗礼が受けられるようになっている。聖地洗礼旅行があり、わざわざここまでやってきて洗礼を受ける人たちがいる。
ガリラヤと湖に着いた。美しい花が咲いている。緑も深い。何かしらほっとする環境である。ここでも見学する場所が多い。それは明日のメモとしよう。
聖書の言葉
「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』」(ルカによる福音書19章5節)