鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

ヴィア・ドロロサの道を行く(聖地旅行 6)

1月1日の夕にエルサレム新市街のホテルに着いた。もはや夕刻であるのでどこにも出かけないで、ホテルの中にある店を覗き歩いた。エルサレムダビデが建都してから3000年という。ホテルのロビーで建都3000年のお祝いの募金がされていた。協力すると名前をどこかに記名するとか。協力した。その夜は旅行社が建都3000年のお祝いということでご馳走を振舞ってくれた。あわせて新年の夕食会であり、また山鹿先生の誕生日であった。三つのお祝いが重なり、食事が行われた。私が山ちゃんの誕生日の祝辞を述べた。食事のメニュー紙にみんなでお祝いのサインをして山ちゃんに贈った。山ちゃんの提案で、この聖地旅行を企画してくれた旅行社の荒木氏にもみんなでサインをして贈った。
『元旦の夕食会は山鹿氏の誕生日をかねて盛り上がり』
二次会をするから、ぜひ自分の部屋においでいただきたい、と山ちゃんが皆さんに言う。夕食後、少し時間を置いて山ちゃんの部屋に行った。山ちゃんはお客さんのためにいろいろと飲み物を用意していた。二人で飲み物を飲んでいたが、お招きした人たちは来ない。もう誰も来ないと思ったとき、三人の牧師のうちの一人の牧師が部屋に来た。しかし、他には誰もいないのですぐに引き上げた。なんかがっかりしている山ちゃんに付き合って、少し飲みすぎたようだ。今日もいろいろな体験をした一日であった。
1月2日、今日はエルサレムの町を見学することになっている。最後の晩餐教会、鶏鳴教会、園の墓、ヴィア・ドロロサ、聖墳墓教会嘆きの壁、黄金のドームなどである。嘆きの壁では添乗員の荒木氏とガイドさんが見えなくなった。どうしたのかとツアーの仲間に尋ねると、参加者の一人がウエストポーチを盗まれたので、警察に届けに行ったという。旅行社からは盗難には十分注意するよう繰り返し言われていた。だから私は財布はポケットではなく、首から紐でつり、シャツの内側、つまり肌につけていたのである。ウエストポーチは気がついたら腰からなくなっていたのである。ポーチには財布やキャッシュカードも入っている。すぐに届けないと使われてしまうのである。ずいぶんと嘆きの壁の広場で待たされた。気落ちしている被害者にみんなでカンパしてあげた。
ガイドさんは日本人の女性であるが、イスラエル人と結婚し、ガイドの仕事をしているのだという。よく説明してくれるが、少ししゃべりすぎるきらいがある。いろいろな教会を訪れるたびにお祈りを勧める。巡礼者に違いないが、聖書旅考であり見学者である。鶏鳴教会では讃美歌を歌い、園の墓では一同に祈ることの指示をしている。少し出すぎた案内人でもある。
いずれもイエス・キリストのゆかりの場所を訪ねるが、いずれも教会ができており、ほとんどカトリック教会、ギリシャ正教会である。中にはきらびやかな聖壇で驚かされる。イエス様が入れられた牢屋は当時のものだという。なんとなくそんな思いになる。ヴィア・ドロロサは当時の町並みであろう。石造りの家と家の間にある狭い路地を、イエス様が十字架を担いで歩いた状況を思い浮かべた。参加者の若い女性が涙を拭きながらこの道を歩いていた。この狭い路地に店が並び、ワンダラと言いつつ土産物を売っている。ガイドの説明、物売りの声が飛び交い、ヴィア・ドロロサどころではない。路地をすすむと赤ちゃんが道路に転がっている。おかしな表現であるが、人の歩くところまで赤ちゃんを横たえさせ、その後ろで母親が手を差し出しながらなにやら言っている。お金を求めているのである。
『聖地とは歴史に生きる人々の信じた姿遺跡となって』
『主の姿ヴィア・ドロロサの石段で物乞いする子を抱く母に』
『物売りとガイドの声が交差するヴィア・ドロロサ心を沈めて』
聖書の言葉
「このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。」(マタイによる福音書15章20節)