鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

シナイ山のふもとで(聖地旅行 3)

『乗り継ぎのソウルの街の夜の灯に赤いネオンの十字架続き』

ソウルの街の灯を飛行機の小さな窓からしみじみと見つめているうちにも、ソウル空港に着陸した。このソウル空港で今回のツアーに参加した19名が一堂に会した。ツアーを企画した旅行社は荒木敏夫氏(南千里キリストの教会会員)を添乗員として同行させる。それぞれ自己紹介をした。19名のうち4組が夫婦である。北海道から1名、新潟から3名、埼玉から3名、神奈川から2名、東京から4名、大阪から2名、福岡から2名、宮崎から2名の参加者である。自己紹介をしているうちにも出発の時刻が迫ってきた。
19:55 大韓航空801便にてエジプトのカイロに向かった。所要時間18時間25分とか。夜なので窓越しの外は闇である。テレビ画面に今どこを通過しているか表示されている。スピード、高度、気温、後何時間で到着するかを示している。大韓航空なので主として韓国語であるが、英語や日本語でも機内放送をしている。放送の度に言う「カムサハムニダ」(ありがとう)がすっかり耳についてしまった。その後、機内の明かりが消え、睡眠の時となった。うとうとの眠りと思っていたが、それでも結構寝たらしい。30日の6時に機内の明かりがつき、ジュースが配られた。
30日の8時にバーレンに着いた。現地は午前2時30分の深夜である。燃料の補給であり、40分間の休憩となる。空港のロビーで土産物店を見て回った。クリスマスツリーが飾ってあった。どこにもあるような品物であるが、金細工品がとてもきれいであった。このバーレンではアルコール類は禁止されている。サウジアラビアの世界だからである。従ってアルコール類は客室乗務員に預ける。マガジンも預けてくださいと放送していた。
休憩後、ジェダに向かい、11:25に着く。現地時間は5:25分である。私は時計を二つ所持し、一つは日本時間、一つは現地時間に合わせている。ここでもまだ夜である。日本では午前中であるが、夜から夜に向かっての旅になっている。

『成田発ソウル乗り継ぎエジプトへ夜から夜へ18時間』

ソウルを29日19時55分に飛び立ち、途中バーレン、ジェダを経由してカイロに着いたのが30日14時であった。エジプトは日本より6時間遅れであるので朝の8時である。ソウルを夜に飛び立ち、夜から夜へと飛び続け、カイロに着いてようやく朝となったわけである。

『日本では昼のおそば食べる頃カイロは朝の6時なり』

カイロに着いてホテルで軽食を取る。機内でも食べているので、バイキングであるが、ほとんど食べないで飲み物だけにした。約一時間くつろいでからバスに乗った。これからは現地時間で示す。午前9時、いよいよ聖地旅行の始まりである。エジプトから出エジプトの足跡をシナイ山に向けて550キロの旅が始まる。東京から盛岡くらいの距離であろう。バスの中で、改めて自己紹介とそれぞれがコメントを述べ合った。途中、アイン・ムーサ(モーセの泉)やハマム・フャラウ(温泉)を見学し、午後1時20分、ムーンビーチに着いた。紅海の辺であり、砂浜が白く際立っていた。そこで昼食を取る。魚、ご飯、パン、野菜等の食事ある。ご飯は機内でも食べたが、日本のおいしいご飯ではない。白いご飯もあったが、混ぜご飯が多い。そういう食事に慣れてきた。
夕方5時30分、出エジプト後の宿営地、シナイ山の麓のセント・カテリーナにあるホテルに着いた。
聖書の言葉
イスラエルの人々は、エジプトの国を出て三月目のその日に、シナイ山に到着した。」(出エジプト記19章1節)