鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

シナイ山に登る(聖地旅行 4)

『荒涼と行けども砂漠550キロ エジプト、シナイ、出エジプトの旅』

30日の夕方にセント・カテリーナにあるホテルに着く。7時から夕食を食べた。私と山ちゃんは今日の疲れもあり、ビールを飲みつつの食事となった。他の皆さんはいくつかのテーブルを囲み、それぞれお祈りして食べている。今回のツアーには3名の牧師が参加しているが、そのうちの2名の牧師はビールなんか飲んでいる。どうも私達を除いては熱心なクリスチャンのようであった。ここにも猫がいて、膝の上にまで上がってくる。猫を撫ぜながらのお行儀の悪い食事である。早く寝なければならなかった。朝からバスに揺られ続け疲れていることもあるが、夜中にシナイ山に登ることになっている。結局、ベッドに入ったのは10時を過ぎていた。
日付が変わって31日、1時15分に起床、2時にバスで登山口まで乗る。その地点は既に1,500メートルの高さである。そこにはラクダが待っていた。このラクダに乗って八合目付近まで登る。ラクダに初めて乗ったが、ラクダに跨ると、ラクダは後ろ足で立ち上がり、続いて前足を立ち上げる。立ち上がるとき、鞍に強くつかまっていないと落駝してしまう。乗ってしまうと、ほんとに楽な気分である。暗い夜道なのにラクダを連れて歩く人もラクダも、すいすいと上っていく。帰りは歩いて下ってきたが、こんな崖っぷちをラクダに乗って通ったと驚き、改めて冷や汗が出るようであった。ラクダに乗ること1時間30分、八合目と思われる。そこからは歩いて頂上を目指す。参加者の夫婦は比較的年配で、夫人は歩けないから八合目で待っていると言い出す。暗いところで、一人で待っているなんて危険でもある。一同が励まし、何とか一緒に登ることになった。かなりきつい登り坂であった。登ること1時間。5時30分、ついに2,285メートルのシナイ山頂上に達する。しかし、まだ暗く日の出には間があった。日の出まで1時間待ったが、その間あちらこちらで話し声が聞こえていた。かなりの人たちがこのシナイ山上にいるようであった。やがて雲上のかなたが白々としてきた。そして赤い炎のようなものが見えた瞬間、あたりが明るくなった。その時、イスラム教のコーランを唱える人々、何やら唱える人々がそれぞれ感動をもって日の出を見つめるのであった。

十戒を授けられたるシナイ山モーセは歩きわれらはラクダで』
『日の出待つシナイ山上人の群れモーセに示し光の中に』

ここで我々のツアーは初めて礼拝をささげた。牧師である私が担当することになった。添乗員の荒木氏から突然に依頼された。準備する間がないままに、シナイ山の麓で神様がモーセに召命を与えたとき、神様がご自分を示した「有って有るもの」とクリスマスのインマヌエルについてを交えながら奨励をした。

『この山に植物なしは神の御旨モーセに告げし有って有るもの』
『信仰の交わり証深まりて自己満足の有って有るもの』
『有ってある私の存在見つめつつ有って有るもの見えし隠れし』

シナイ山上から下山したが、かなりきつい。下山してホテルで食事を取り、その後はセント・カテリーナ修道院の見学であるが、入ることができないので、修道院を見つめながら説明を聞く。カテリーナとはエジプトのアレクサンドリアで殉教した少女の名で、シナイ山頂に埋葬された。後にこの修道院に埋葬されたと言われる。
聖書の言葉
モーセが神のもとに登っていくと、山から主は彼に語りかけた。」(出エジプト記19章3節)