鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

祈りつつ出発させる…(聖地旅行 2 )

<聖地旅行のメモの冒頭にはこのように記しています。>
10日間の聖地旅行の感想は疲れたに尽きる。見なければならないもの(ガイドが決めたものである)が多く、駈けずり回っての旅行のようであった。訪ねて見なければならない場所であろうが、ゆっくり見つめ、考え、主イエスを偲ぶ時間が欲しいと思った。こちらで選んで、指定した旅なら、良い聖地旅行になったのではないかと思う。教会の皆さんと訪ねる機会があるなら、そうしたい。ガイドの選任も大切でもある。ガリラヤ湖で船に乗り、ペトロの漁を体験したとき、船のマストに日本の国旗が掲げられた。そして、君が代の曲が流れてくる。ガイドは一同に共に歌うように促しながら自らも歌うのであった。その時、歌った人はいなかったと思う。クリスチャンと聞いている。聖地は主イエスの姿を訪ね、その足跡を辿ることであるが、主イエスが関わったこと、すべてにおいて教会が建てられており、結局それはそれぞれの時代の人々の信仰の証なのである。従って、聖地旅行とは主イエスへの信仰の歴史を訪ねて歩くことも聖地旅行であることを示されたのである。
『聖地とは歴史に生きる人々の信仰の姿を訪ね歩くものなり』

<このように全体の感想を記してから、いよいよメモが始まっています。>
12月29日、いよいよ聖地旅行が始まる。これまでに牧会者共同研修会で7泊8日、教会を留守にしたことがあるが、今回は9泊10日である。牧会者共同研修会は自己負担がなく、子ども達も小学生時代で、比較的に出かけやすいこともあった。しかし、今回は自己負担であっても、教会にはもう一人の牧師がいるので、安心して教会を留守にすることができた。実際、旅立ちに当たり教会員のお連れ合いがお亡くなりになった。葬儀は仏式で行われたので、列席しお慰めするべきであったが、これはもう一人の牧師に委ねたのであった。29日に出発するものの、クリスマスやその他のことで準備がはかどらず、そして留守中の手配等があり、28日になってようやく本腰を入れて準備をしたのであった。初めての外国旅行であり、案内書に準備の仕方が記されているが、思案しつつ備えたのであった。
出発のとき、連れ合いのスミさんが子ども達を集めてお祈りをしてくれた。その時、405番の讃美歌を歌うというので、それは別れの曲でもあるし、止めたのである。スミさんにとっても初めての外国旅行には不安をもっている。羊子の運転で、家族でさがみ野駅まで送ってくれた。
『初めての外国旅行思い立つ牧師の願いイエスの御跡』
『聖地へと旅立つ者を気遣いて子ども等を集めて祈る連れ合い』

横浜駅で山鹿先生(以下、山ちゃんと称す)と待ち合わせをし、JRの成田エキスプレスで成田飛行場へと向かう。飛行場で旅行社から航空券を受け取り、搭乗ゲートをくぐる。外国行きに慣れている山ちゃんが先立ってしてくれるので、私も臆することなく旅行者になることができた。
15:50 成田飛行場から大韓航空でソウルへと飛び立った。機内で隣に座った女性にそれとなく行き先を訪ねた。すると、我々と同じだと言うのである。後ろの席に座っている山ちゃんとの会話で同じツアーであることを察知したようである。ツアーは15名の募集であったが、最終的には19名になったようである。日本全国から集まってくるので、ソウル空港が集合場所になっている。関西空港名古屋空港福岡空港新潟空港からそれぞれソウル空港に集まってくるのである。
18:15 ソウル空港に予定通り着く。ソウルはもはや夜景であり、東京と同じようにネオンサインが明るく、にぎやかに瞬いている。東京より華やかさが強いと思ったし、赤い十字架が非常に多く目立っていたことが印象的であった。
聖書の言葉
「そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。」(使徒言行録13章3節)