鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

信仰によって…(聖地旅行 1 )

年末となり、いろいろと身辺整理をしていましたら、10年前に聖地旅行をしたときのメモが出てきました。その時、川崎教会の山鹿先生と一緒であり、先生は旅行から帰るとすぐに聖地旅行記なるものを発表しました。私がメモを取っていたことを知っている山鹿先生は、そのメモを発表すべきだと勧めてくれましたが、歌交じりのメモを発表するには恥ずかしさが先に立ち、ついに机の引き出しに入れたままでいたのです。そのメモが出てきて改めて読み直しました。今は、恥ずかしさより、少しでも文書を残しておきたい気持ちでありますので、臆面もなくこの日記に記すことにしたのです。聖地旅行は年末年始に行きましたので、この年末年始の日記に記すことにしました。


ツアー名:旧・新約聖書の舞台を訪ねるエジプト・イスラエル聖書“旅考”
開催期間:1995年12月29日〜1996年1月7日
旅行主催:インターナショナルツーリスト(株)
旅行代金:388,000円

この広告を「信徒の友」誌の広告で見たとき、何かしら心が動かされました。かねがね聖地旅行を願いながらも実現できないでいたのです。この時点では三人の子ども達は二十歳を過ぎていましたが、子ども達が学生の頃は学費で苦労し、自分の旅行どころではありませんでした。それがようやく子育てが終わったので、少しはゆとりが出てきたのです。さらに聖地旅行に出かけられないのは、やはり教会の勤めがあったからです。年末年始のお休みの期間であっても、牧会=牧師の働きがお休みと言うのではありません。それで長い旅行はできないでいたのです。「信徒の友」誌の広告を見て、心が動かされたのは、その年の1月からもう一人の牧師が大塚平安教会に赴任していたからでもありまた。かつて当教会で神学生として奉仕され、神学校を卒業してから二つの教会を歴任し、充電の意味で辞任することになったので、しばらく大塚平安教会で勤めてもらうことにしたのでした。もう一人の牧師がいることによって、聖地旅行への思いが深まったというわけです。この、もう一人の牧師がいなかったら決心しなかったことを思えば、もう一人の牧師にはおおいに感謝した次第です。
申し込みをしてから数日後に、川崎教会の山鹿先生から電話がありました。年末の有志の牧師会の打ち合わせでした。その時、私が聖地旅行をすることを告げると山鹿先生も乗り気になり、一緒に参加することになりました。ツアーは15名で知らない人たちばかりです。だから、山鹿先生の参加はとてもうれしく思いました。実際、旅行中、随分とお世話になりました。大体、私はその年(56歳)まで外国旅行をしたことがなく、不安な思いで聖地旅行の決断をした訳です。山鹿先生は何回も外国旅行をしていますし、留学までしています。
出発の日、横浜駅で待ち合わせし、成田エキスプレスに乗りました。これも山鹿先生が手配してくれました。成田飛行場にも、外国にも行っていないので、訪れた記憶はありません。誰かを見送りに行かなかったかなあ、と思い出そうとしますが思い当たりません。山鹿先生がてきぱきと手続きをしてくれました。飛行場で旅行者からチケットを受領したり、出国手続きに至るまで、山鹿先生が先立ってしましたので、本当に助かりました。外国旅行慣れしている山鹿先生は出国手続きをし、ゲートを通過すると、早速必要なものを買い始めました。中で買った方が安いと言うことでした。こうして旅行の智恵をつけていただきながら10日間のたびが始まりました。
聖書の言葉
「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召しだされると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。」(ヘブライ人の手紙11章8節)