鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

わたしの魂は主をあがめ…(渡辺富子さんの証 )

昨日は渡辺魁さんについて、信仰と足跡について記しました。今日はお連れ合いの富子さんの証しを示されましょう。お手紙と献金をお送りくださったとき、お手紙を記しているのは富子さんでありました。「ブログをいつも楽しみにしております。感謝です。その箇所の聖句を開き、読み、祈らせていただいております」と記されていました。沖縄の地でこの日記が読まれていることは、とても喜びであります。
渡辺富子さんは沖縄に転居するまで、教会の財務委員を担ってくださいました。時々、家庭集会を開いてくださり、ご近所の皆さんを誘ってくださっていました。私にとって思い出深いのは、もう随分と昔になりますが、ご子息の誉一君と共に丹沢に登った時、お弁当を作ってくれたことです。誉一君が浪人中であったか、同志社大学に入ってからか定かではありませんが、彼をつれて丹沢を登ることになり、お母さんの富子さんがおいしいお弁当を作ってくれたことが忘れられません。その誉一君は同志社大学を卒業し、今は大船教会の牧師になっています。誉一君が牧師になったとき、富子さんの証しがよみがえってきました。以下は祈祷会で証されたものです。
渡辺魁さんと富子さんは結婚した頃、東横線沿線の港北区に住んでいました。ルーテルアワーを聞くようになり、紹介されて妙蓮寺にある篠原教会を紹介され、何回か出席しました。しかし、誉一君がまだ赤ちゃんで、礼拝に出席しても泣くこともあり、気兼ねして出席できなくなりました。その後、当地に転居されました。誉一君をドレーパー記念幼稚園に入れると同時に大塚平安教会に出席するようになりました。母として、子ども達に愚痴ばかり言っている自分に気づき、教会に行き、神様の教えは育児の方向が示されていると信じたのでした。前任牧師の乙幡和雄先生に励まされ、お連れ合いの魁さんと共に洗礼を受けられました。
誉一君が小学校の遠足に行きましたが、鼻血を出して帰って来ました。お医者さんに診てもらいましたら大変な病気でした。入院しなければなりませんでした。日夜、祈りが重ねられました。そのとき、「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙<一>10章13節)の御言葉に励まされたといわれます。そして、祈りは続けられ、たっては祈り、座っては祈られたのでした。教会の皆さんの祈りも大きな励ましでありました。なかなか熱が下がらず、もしかしたら車椅子に生活になるかも知れないとの不安がありました。日夜の祈りの中で、いつの間にか「もし、治していただけるのでしたら、この子を神様にささげます」と祈っていました。祈りが応えられたと思いました。一ヶ月して退院することができたのです。すると、あれほど祈っていた祈りが少なくなっていることに気づくのです。そのとき、示された御言葉は、「あなたは冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。」(ヨハネの黙示録3章15節)でした。なまぬるい信仰を悔い改めたのでした。その頃、笠倉正道さんが若干20歳で下半身不随で入院しており、そのことでいろいろと話し合いました。神様の御心だと富子さんは誉一君に言いますが、納得しません。神様はどうして治してくれないのか、との問いには答えられませんでした。教会の牧師のところへ行くように勧めました。牧師と何を話してきたかはわかりませんが、なんとなく分かったような顔をしていました。篠原教会の牧師が言われたように、子供に頼られる親になることが願いでありました。
 以上は渡辺富子さんのお証です。富子さんのお祈りは神様の御心の中にあると思わされています。神様は誉一君を導き、今や伝道者の道を力強く歩んでいます。私はこの富子さんのお祈りを常に示され、信仰の糧ともしています。
聖書の言葉
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」(ルカによる福音書1章47節)