鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

星が先立って進み…(アドべント第ニ週)

昨日の日記は、幼稚園の合同礼拝、12月1日の第一アドベント礼拝でお話したことを記しました。羊飼いさん達がお生まれになったイエス様とお会いし、喜びに満たされたということでした。昨日の12月8日は第二アドベント礼拝でした。二本のローソクに火がつき、明るくなったことを示されながら礼拝をささげました。
第二アドべント礼拝のお話は博士さんのお話です。「博士」は前の口語訳聖書で使われていた呼び方で、今の新共同訳聖書は「占星術の学者」としています。しかし、ページェントは今までのように演じますので、「博士」にしています。その博士さんたちもイエス様にお会いしました。博士さん達は星を見つめる人たちです。星の動きを見つめ、星の出具合によって、世の中の動きを人々に示すのです。だから、どんな星も見つけるとの思いで、毎日星空を見上げているのでした。ある時、不思議な星を見つけました。あの星は何だろうと思いました。調べた結果、あの不思議な星は救い主がお生まれになったしるしであることを知るのです。そして、遠い東の国から星の導きのもとに出かけたのです。「王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイによる福音書2章1-節)。こうして尋ねているうちに、ついに生まれた場所にたどり着きました。「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」(マタイによる福音書2章11節)。
なぜ博士さん達はイエス様にいち早くお会いできたのでしょう。それは彼らが見ようとする努力です。どんな小さな星でも見つけ出そうとする姿が、不思議な星を見ることが出来たのです。星は空にまたたき、誰もが見ることが出来ます。しかし、不思議な星は博士さん達の他は誰も見ることが出来ませんでした。結局、人々は自分の好みしか見ていないのです。嫌な姿、見たくないものは目をそむけているのです。その姿は人を排除していくことにもなるのです。どんな存在をも見つめなければなりません。そして、その存在を受け止めて生きなければならないのです。博士さん達はどんなに弱い光の星でも見つけだそうとしていました。その姿勢が真に喜びへと導かれたのです。どのような存在をも受け止めようとすることが、救い主イエス様との出会いとなるのです。
こうして、羊飼いや博士さん達はイエス様と出会いました。クリスマス物語は聖書の証言を物語化していますが、お告げやしるしはその通りでなくても真実でありましょう。そしてお告げやしるしをいち早く受け止めたことも真実でありましょう。物語だから固有名詞が出てきませんが、羊飼いにしても博士にしても、そこに私達の固有名詞を入れなければなりません。それによって私のクリスマス物語が完成するのです。
博士さん達はイエス様とお会いすると、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげたと言われます。クリスマスと言えばプレゼントがもらえることが楽しみですが、博士さん達がプレゼンを贈ったのです。しかし、そうであっても、やはり神様がイエス様を私達にプレゼントしてくれたので、博士さん達の贈り物があるのです。私達も大切な宝物をイエス様にささげたいと思います。

聖書の言葉
「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者達はその星を見て喜びにあふれた。」(マタイによる福音書2章9-10節)