鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

老人は夢を見…(金沢八景教会創立50周年)

金沢八景教会が11月19日に創立50周年記念礼拝・祝会を開催されました。当日は当教会の役員会であるため出席できず、祝電を打ちました。当教会からは代表として角田敏太郎さんに出席してもらいました。角田さんはお連れ合いの真澄さんが金沢八景教会の出身でありますので、何かと同教会と親しくされています。真澄さんは当教会員でありましたので、当教会としても金沢八景教会を覚えてお祈りさせていただいていました。当教会からも金沢八景教会に移った人がいます。また、同教会に近いので出席している人もいます。
角田さんが出席したので、当日発行された「創立50周年記念誌」(年表と写真で見る50年の歩み)を既にいただいています。このたび、改めて同記念誌を送ってくれました。50年の歩みを読ませていただきました。50年はまさに長い年月です。その年月は神様の導きの歴史でもあるのです。記念誌に現在の井上喜雄牧師が記しています。
「海を見ながら“不思議”を感じます。内田先生を用いてこの海近くに『金沢八景教会』を立てさせた不思議をー。高橋先生を捉えて、新しい会堂を奇跡のように建設させた不思議をー。この不思議の中に、私は、今立たされています。50年の歩みを見つめ続けているこの海の前に立って、ここに遣わされた不思議をかみしめています。この“不思議”は、この後も続くでしょう。ここに大きな希望を見ます。この“不思議”は、父なる神の摂理であり、御子イエス・キリストの慈愛の豊かさだからです。」
私にとっても金沢八景教会は深い思いがあるのです。私は横浜市金沢区六浦町で成長しました。生まれは横須賀市浦郷ですが、太平洋戦争が激しくなって、5歳頃に転居したのでした。すぐ近くに軍の追浜飛行場がありましたので、強制転居でもありました。六浦から野島海岸まで歩いて30分くらいでしたから、いつも泳ぎに行ったり、釣りに行ったりしていました。近所の友達の家が、その野島で船大工をしていました。友達と船に乗ったりしての思い出は尽きません。その頃から、小学生の時代から金沢八景教会の存在を知っていました。そして、中学生になってから金沢八景教会の礼拝に出席したのです。かまぼこ型の小さな教会ですが、家から近くでもあり、出席するにはちょうど良い距離でもありました。私は中学生になってから横浜の清水ヶ丘教会に出席するようになっていました。小学生の頃は六浦にある関東学院教会の教会学校に出席していましたが、清水ヶ丘教会には二人の姉達が教会員として出席していましたので、私もそちらに出席するようになったのです。しかし、清水ヶ丘教会は電車に乗って行くので、約1時間かかりました。近くの教会を望んでいたので、金沢八景教会や逗子教会等に出席しました。しかし、結局どこにも行かないで清水ヶ丘教会で成長することになるのです。金沢八景教会には2、3度行ったように思えます。
このような関わりがあるものですから、例えば大塚平安教会を退任した後は、金沢八景教会の牧師として歩むことができたら、との思いがありました。神奈川教区の牧師研修会で、それぞれが自分の思いを述べる機会がありました。率直に自分の気持ちを述べたのです。そこには実際に金沢八景教会で牧師をしている高橋先生がおられたのです。笑顔で聞いておられたと思います。それから数年たったある日、高橋先生からお便りをいただきました。来年、いよいよ隠退することになったので、金沢八景教会に赴任されたいとの意向を聞いているので、ぜひお出でいただきたいとの事でした。困りました。高橋先生がもう少し金沢八景教会にいてくれたらよかったのです。現在はいろいろな関わりの中で動きが取れません。今は動けないことを申し上げました。
私が隠退するのはそんなに先のことではありません。そしたら、老後は金沢八景教会に出席したいと思っています。小さい頃、野島で遊んで育ったのです。再び、そこで遊びながら老後を過ごすことにいたしましょう。
聖書の言葉
「若者は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒言行録2章17節)