鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

賜物を生かす(収穫感謝祭の起源)

11月23日は日本では「勤労感謝の日」としてお休みになっています。この日の制定は、戦後国民の祝日が定められた際(1948,年)に「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」という趣旨で定められました。明らかにアメリカの収穫感謝祭を背景にしています。11月23日にするのは、日本的には新嘗祭と関わりを持っているからです。アメリカでは11月の第四木曜日が収穫感謝祭になります。今年は11月23日がちょうど第四木曜日になりました。バザーについて記したため、本来の収穫感謝祭については記せませんでした。幼稚園の収穫感謝祭については少しばかり記しています。今日は収穫感謝祭について記しておきましょう。
英国国教会聖公会)に圧迫されたピューリタン清教徒)たちは1607-8年頃、信仰の自由を求めて、オランダのアムステルダムやライデンに逃れました。しかもここでも圧迫されたので、ついに1620年9月6日、メイフラワー号という船に乗ってアメリカに渡りました。男子78名、婦人24名の人々でした。二ヶ月もかかって大西洋を渡り、ヴァージニア植民会社から提供された土地に到着したのです。地図の上だけで知っていた彼ら(ピリグリム・ファーザーズと呼びます)の新しい土地は、ただ広いばかりで、一面の荒地に過ぎませんでした。しかし、もはやヨーロッパへ引き返すわけにはいきません。この新しい大陸にはインディアンたちが歩き回り、それに寒い冬も迫っていました。ピリグラム・ファーザーズ達はとうとうプリマスという所に上陸し、新しい生活を始めました。森の木を切り倒して、丸太小屋の教会と住居を建てました。堅い土地を掘り起こして農耕を始めました。しかし、彼らの大多数は、都会人でしたから、その苦労は大変なものでした。飢えと寒さと絶望のために、その冬の間に約半数の人たちが死んだといわれます。やがて遅い春が来たとき、冬の間に親しくなったインディアンたちが、トウモロコシ、エンドウ豆、小麦、大豆などの種の蒔き方を教えてくれました。やがて秋となり、思っていたより豊かな収穫がありました。アメリカに到着してからちょうど一年がたっていました。人々は教会に集まり、感謝礼拝をささげ、また家庭にはインディアンの友達を招いて感謝祭の食事をいたしました。トウモロコシや小麦のパンやケーキ、野生の七面鳥や鴨の焼肉にはイチゴのプディングも添えました。1864年、リンカン大統領は、11月の第四木曜日を国定祭日に定めました。日本の教会では、11月の第四日曜日に、収穫感謝礼拝をささげています。(以上は『キリスト教例話集』日本基督教団教育委員会編より抜粋しました。1972年発行)
日本の11月23日の勤労感謝日は文字通り、勤労者に対する感謝が強くなっています。従って、特にお父さんへ感謝をするのです。しかし、働いているのはお父さんばかりではありません。お母さんも働いていますし、子供たちも働いているのです。働くという場合、体を動かして何かを行うことだけが働くことではありません。人は生きている姿が働く姿なのです。それは聖書に示されるように、人はみな神さまからタラントをいただいています。タラントは英語で言うならタレントです。このタレントは、能力、賜物、力、才能等の意味があります。つまり、人は誰もが神様から賜物をいただいているのです。従って、寝たきりになっているとしても賜物が与えられており、その賜物が働いているのです。人は賜物をいただいて、皆が働く人だということです。
収穫感謝は様々な神様のお恵みを感謝しますが、わたしに与えられている賜物をも含めて感謝するのです。与えられている賜物です。無駄にすることなく、十分に用いたいと思います。聖書には、せっかく与えられているタレントを地面に隠した人について記しています。賜物は用いれば用いるほどに祝福されるのです。
聖書の言葉
「まず、五タラントン預かった者が進み出て、他の五タラントンを差し出していった。『ご主人様、五タラントンお預けになりましたが、ご覧ください。他に五タラントンもうけました。』」(マタイによる福音書25章20節)