鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

右手の所作を知らない左の手(忙中閑詩 6 )

忙中閑詩として掲載していますが、25年前に書いた詩であり、改めて読んだとき、人に読んでいただくようなものではありません。この日記に再掲しているのは、私の歴史の事実として、こんなこともあったと自分に言い聞かせているのです。週報の第一面に掲載したのは、その部分が空白であり、何か物足りないと思っていたのです。青山教会時代、陸前古川教会時代から週報を作り続けてきました。週報は日曜日の礼拝順序、集会案内、報告、消息、集会記録等を記しますが、それだけでは何か物足りないと思っていました。それで、陸前古川教会時代は週報に「牧会日誌」を書くようになりました。そして、大塚平安教会に赴任したとき、前牧師が週報に所感を書いていたので、私も「牧会メモ」として書き始めました。それでも第一面が空白になるので、紙面をうめるために書いたというわけです。従って、土曜日に週報を作っているとき、あまり推敲もせずに掲載したのでした。その意味で、拙い詩なのです。「牧会メモ」は2002年11月までの22年間書きましたが、ついに止まりました。
以上のようなわけで、今日も再掲しましょう。

「くだいてください」

くだいてください
やればできると胸をはり
汗を流して働いて
人の賞賛身に受ける
ただ、それのみの働きを。

たおしてください
積み重ねて高くなり
人の何倍積み上げて
人に知られる喜びを
ただ、それのみのこの高さ。

たたいてください
主の恵みに育てられ
人をなぐさめよろこびに
変えるこのわざ誇らしく
わが身を誇るこのわざを。

しかってください
主のことばにいきながら
訪ねず、与えず、食べさせず
この小さき者にしなかった
無知と無思慮の生き方を。

(1981年2月15日 週報)

聖書の言葉
「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。」(マタイによる福音書6章3-4節)