鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

支えの声(忙中閑詩 5 )

今日は日本基督教団の役員打合せ会があり、西早稲田の教団事務局に赴きました。例によってロマンスカーで大和から新宿に向かい、JR山手線の高田馬場で降り、バスで西早稲田まで行くのです。役員打合せ会の日は昼食を三役で共に食べることになっており、キリスト教会館の手前の店に集まるのでした。今回は小林眞副議長が都合で食事には来られなく、山北宣久議長と二人で四方山話をしながら昼食をいただいたのでした。役員会は午後1時30分から始まり、4時30分終了を目標としています。最初に諸報告があり、続いて協議事項を扱います。その諸報告は今はあまりありません。34総会期の諸委員会は終了しているからです。35総会期の諸委員会はまだ選任されてなく、活動されてないからです。そのため、報告と言えば、諸宗教との関わりです。今日はそのくらいのことなので、また拙い昔の詩を掲載しましょう。

「支えの声」
朝のひかりのように
やさしく、やわらかい
主イエスの声。

春の日ざしのように
こころよく、あたたかい
主イエスの声。

雷鳴のとどろきのように
力づよく、たくましい
主イエスの声。

寒い冬の朝のように
きびしく、激しい
主イエスの声。

主イエスの声は
始めの合図、終わりの合図
生きている私の支えです。
悲しい心を喜びに、
弱さをかえて強くする
生きている私の支えです。

( 1981年2月8日 週報 )


聖書の言葉
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタイによる福音書11章28-29節)