鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神の言葉の威力(県の検査を受けて )

いよいよ今日は幼稚園の県の検査日です。一般には監査と言われますが、神奈川県の学事振興課は検査としています。3年に一度の間隔で行われます。幼稚園の運営におけるチェックであり、決まり通りに行われているかを調べるのです。例えば、理事会が正しく行われているか、構成員は正しいか、会計関係を正しく処理しているか、教職員や園児の健康管理が行われているか、不審者に対する対応の備えをしているか等です。理事会や評議員会の議事録は丁寧に読んでいました。また、理事や評議員の出席状況までチェックしていました。朝9時に2名の担当者が来て、午後3時までかかりました。書類をいっぱい広げながら作業をするので、園長室では狭く、そのため図書館を検査場にしました。バザーが近づいており、図書館はいつも準備に使われていますが、この日だけは空けてもらいました。
このように県の検査があることは大事なことだと思います。世の中はいろいろな不正が行われており、監査態勢も不信の状況でもあります。第三者がいつもチェックする態勢を維持していかなければならないのです。耐震強度の不正で危険な建物が造られることになり、大きな問題になりました。この問題もチェック機関の不正でありました。監査する者が不正をするのですから、監査の監査、幾重もの監査が必要になってくるのです。人間はどうして悪いことをしなければならないのか、自分を含めてでありますが、深い反省を持ちつつ歩まなければならないのです。検査では水質検査をしているかのチェックがあります。水道の水を使用しているので、検査をしなくても良いのではないかと思います。しかし、たとえ水道の水であっても、パイプが腐食している場合もあります。従って、水道メーターから一番遠い場所の水を検査するのです。教室の空気検査をしているかのチェックもあります。各教室に測定具を12時間、天井から吊るしておくのです。それによって数値を計るのです。要するに検査していることを検査しているわけです。以前は大和保健所で水質検査をしてくれていましたが、数年前から保健所では扱わなくなりました。それで、1、2年水質検査をしませんでした。県の検査があることで、やはり水質検査をしなければならなく、民間の検査機関を探して検査してもらっているのです。
こうして、いろいろな検査や見直しなどを余儀なくしてくれるのが県の検査でありましょう。お陰で書類棚がきれいに整備されました。日頃はなかなか書類の整備が行き届かず、いろいろと整理できたのでした。
いろいろとチェックし、見直しているとき、自分自身の監査も大事なことであると思いました。自分の生きる道として歩んでいますが、私たちはこの人生において第三者の助言に耳を傾けなければならないこともあります。と、私は言っていますが、本当に自分自身がその姿勢であるか疑問です。人の助言、人の言葉を聞かないのは、この私自身であるとは連れ合いのスミさんのありがたい言葉です。
この際、自分の検査をするとすれば、指摘事項が随分とあることに気づきます。スミさんも言っているように、人の話すことをよく聞かないことです。人から何かを問われたとき、すぐに返事をしないで、間際まで保留にしておくことも悪い姿です。自分で悪い姿を数えても、本当の監査にはなりません。やはり、どなたかに指摘していただかないと、自分の姿がわからないでしょう。しかし、人間の判断は私見が加わることもあり、必ずしも正しいとは言えません。聖書の言葉、神様の御心により、心を砕かれ、自分を知ることが第一と思っています。

聖書の言葉
「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。」
ヘブライ人への手紙4章12節)