鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

励まされつつ(忙中閑詩 1)

「毎日、日記を書くのは大変だから、時々でよいのでは」と助言を与えられます。確かに毎日書いていると、いつも現在のことを書きながら歴史を回顧しているので、さすがに書くことがなくなってきます。実際、今日の月曜日は、11月7日に幼稚園に県の検査が入るので、その準備に一日を費やしてしまいました。振り返ってみて特段のことはなく、何を書いておくべきかと思案しています。しかし、かねがね思っていたことを実施することにしました。それは、昔の詩を引っ張り出してみるということです。大塚平安教会に赴任した1979年から2年後に、私は週報の第一面に詩を書くようになりました。第一面の余白がもったいないという思いがあり、余白を埋めるために書き出したのです。このまま埋もれてしまうのも、自分ながら惜しいと思っているので、何も書くことがないときには再掲してみようかと思いました。拙い詩ですがお読みください。


「生きる」
主イエスの言葉に励まされ
私の歩みを始めます。
きのうの友がつぶやいて、
私をだめだと言ったのを
まだ耳に聞きながら、
今日の友と歩みます。
主イエスの言葉に励まされ
生きる私を知るのです。

主イエスの言葉に励まされ
私の持ち場に出かけます。
人のあいだのいとなみで
置いていかれていくことを
今日もしみじみ知りながら、
私の持ち場に出かけます。
主イエスの言葉に励まされ
あしたに向いて出かけます。

(1981年1月11日 週報)



聖書の言葉
「わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださいますように。」
(テサロニケの信徒への手紙<二>2章17節)