鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

喜びの叫び(ホームのお祭り)

前週の第四日曜日は、本来は子どもの教会(教会学校)の担当者会(教師会)が開かれるのですが、教区教会音楽祭が開かれましたので、担当者(教師)のほとんどが聖歌隊として出場し、そのため担当者会を第五日曜日に変更しました。担当者会はまずお昼の食事をしてから開きます。ところで今日はさがみ野ホーム祭りが午前10時30分から午後1時30分まで開かれており、お昼の食事はそちらに出かけていただくことにしたのでした。会計さんが一人につき500円渡してくれたので、さて何を食べようかと楽しみにしてさがみ野ホームへ向かいました。お祭りと称していますが、いろいろな催しがあり、ちょうど太鼓の演奏が行なわれているところでした。もはや午後1時近くにもなっており、お祭りも終りに近づいていました。そのため食べる物があまりなく、いなり寿司とから揚げを求めました。そこでたべるのも落ち着かないので、結局教会に帰ってから食べたというわけです。午後1時30分までに教会に帰り、担当者会を開くことになっていたのです。
綾瀬ホームは10月8日にお祭りを開催しました。その日は教会の修養会であり、すぐ山中湖に向かわなければなりませんでした。従って、受付だけして、ゆっくり見ることも、利用者とあってお話しすることも出来ませんでした。本日のさがみ野ホーム祭りも、集会が控えているのでゆっくり出来ませんでした。今年は両ホームとも「祭り」としていますが、綾瀬ホームは「ほのぼの広場」であり、さがみ野ホームは「バザー」として開催していました。みんなで楽しく過ごすことが目的なので「祭り」にしたのでしょう。
それにしても利用者の皆さんは本当に楽しそうでした。阿波踊りが始まると利用者の何人かの皆さんも一緒に踊っていました。いつも礼拝ではおとなしくしている人も、人が変わったように阿波踊りを踊っていました。このような楽しさが利用者の皆さんの励みになるでしょう。日々の生活の中で、イベントがあること、それはそれは楽しみなのです。だから、今度、旅行に行くと言い、その日をとても楽しみにしているようです。まだ先のことなのですが、私の顔を見るなり旅行の話をするのでした。そしてそれはいつまでも心にあり、思い出しては喜びをかみしめるのです。
6月に「花の日」の行事があります。幼稚園も子どもの教会もそれぞれに綾瀬ホームとさがみ野ホームを訪問します。子ども達が利用者の皆さんにお花を上げるのです。子ども達からお花をもらい、それがとてもうれしくて忘れられません。綾瀬ホームの礼拝に行くと、一人の利用者が、「今度いつ来るの」と聞きます。6月が終わって7月になってのことであり、花の日が終わったばかりなのですが、また来ることを期待しているのです。また、来年であることを言いますが、10月になっても「いつ来るか」と尋ねられるのでした。
お楽しみは両ホームの利用者ばかりではありません。私たちもお楽しみを求めて生きているのです。嬬恋村に5千人が集まり、昼間から夜にかけて歌の競演を楽しんだといわれます。集まった人々は、むしろ年配の皆さんで往年の歌を再び、そして熱狂的に聞き、共に歌って楽しんだということでした。イエス様のもとに5千人の人々が集まり、イエス様のお話に耳を傾けたとき、戒律の世界に生きていた人々にとって、自分を現す大きな意味があったと言えるでしょう。いわばイベントのようにしてイエス様に従い、お話しを求めたのです。人は、このように自分を現せる時と場が必要なのです。そのために旅行に出かけ、パーティーへと赴くのです。
私は大騒ぎするような時と場は昔から好みません。そんな性格を持っていますから、一人で山登りを楽しんだりしていました。しかし、最近は体力に自信がなくなり、久しく山にも行ってないのです。では、何によって自分を現しているのでしょう。でも、きっと何かの時と場があるに違いありません。
聖書の言葉
「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進みでよ。」(詩編100編1-2節)