鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

石の叫びを聞きつつ(教団総会三日目)


教団総会の三日目は聖餐式礼拝で始まりした。式文改定の作業が進められています。式文とは日本基督教団の諸式における式文ですが、1988年に改定されて以来のもので、現代において問題とされる部分が多くなってきました。特に結婚式における式文は、聖書の引用も良くなく、使いにくい面もあります。それで改定が求められ、信仰職制委員会が改定作業をしているのです。この度、10月20日付けで式文の試用版が発行されました。試用版は主日礼拝式、結婚式、葬儀諸式が改定され、実際に用いながら、さらに諸意見を受け止めて式文を決定する方向であるのです。教団総会では試用版を用いて聖餐式礼拝が行なわれました。当教会でも試用版を参考にしながら取り組みたいと思っています。ところで、総会を傍聴された当教会員の感想は、当教会が既に取り組んでいることが行なわれていましたね、ということでした。礼拝では旧約書、使徒書、福音書が読まれましたが、当教会は以前から取り入れています。旧約と福音書だけで、使徒書は読まなくても良いのではないか、との意見がありますが、牧師は執拗に三つの聖書を礼拝にて読むのでした。これは教団の聖書日課に準じているのです。交読詩編も聖書日課ですから、全部用いていることになります。さらに、試用版の聖餐式では、相互挨拶が交わされますが、これも当教会では以前から行なっています。すなわち、礼拝が終わると相互挨拶があります。「あなたに平安がありますように」と左右、前後の皆さんと挨拶するのでした。夫婦が並んで出席した場合、家では挨拶等した事がないのに、礼拝で相互挨拶があり、とても良いとの感想を聞いています。教団総会でもこの挨拶が行なわれました。周囲にいる人は必ずしも意見を同じにする人ではありません。しかし、共にささげる礼拝において、またいただく聖餐において挨拶を交わすことによって、一つの主の体に導かれるのです。試用版における礼拝式において共同体の思いが深められたことでありましょう。
教団総会の三日目の朝に教団書記の選任が行なわれました。実は、一日目に山北宣久議長が三選され、二日目に小林眞副議長が三選され、その二日目に私の書記就任が要請されました。しかし、私はすぐに応じず、保留とさせていただきました。私の書記三選はかなり厳しいと思っていたたからです。教会の牧会はもちろんですが、学校法人幼稚園の理事長・園長を務めています。さらに教会が関わる綾瀬ホームとさがみ野ホームの牧師としての関わりがあります。そして神奈川医療少年院には篤志面接委員であり、八王子医療刑務所教誨師を努めています。この上、さらに教団書記を務めてきました。私が言うまでもなく、皆さんも大変であると思われているのです。結局、私は三選を受託しました。改めて私が置かれている状況を考えたとき、私が関わっている幼稚園、施設、少年院、刑務所の皆さんは、自分の叫びが出来ない人々なのです。確かに叫んでいます。しかし、その叫びを周囲の人々が受け止められないのです。少年院では少年と面接しつつも、少年は自ら話そうとはしません。私がいろいろ聞きながら少年の思いを引き出しているのです。彼らは叫びを持っているのです。その叫びが放火、盗み、薬へと気持ちが向いてしまうのでした。刑務所でも同じことです。「自分が山に登っていたら、此処にはいなかった」と、教誨をしながら登山の話に及んだときに受刑者が言いました。叫ぶことが出来ないままに犯行に及んでしまうのです。私が関わっているいろいろな状況の人々の声、叫びを聞き、教会で受け止めていきたいのです。そのような姿勢で書記の三選を受託しました。また二年間、重い職務ですが皆さんの祈りに支えられて務めたいと願っています。
第35回教団総会は26日午後3時をもって終わりました。たくさんの課題があり、また、問題提起も与えられ、これらのことは常議員会で受け止めていくでしょう。2年毎の総会の間は、選ばれた30名の常議員会が担います。神様の知恵をいただきつつ論議を深め、祝福された日本基督教団の歩みを願っています。

聖書の言葉
「もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」(ルカによる福音書19章40節)