鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

この努めを励みつつ(教団総会二日目)


教団総会二日目の朝は逝去者記念礼拝をもって始められました。この前の第34回総会からの二年間に逝去された教職を覚えての礼拝です。竹前昇総幹事が逝去教師92名、逝去宣教師12名、計104名の逝去教師名を読み上げました。続いて礼拝司式の三浦修牧師(埼玉和光教会)が追悼の辞を述べられました。フィリピの信徒への手紙2章12-18節の御言葉に基づき、「世にあって星のように」と題してお話しされました。
追悼の辞については、総会中「速報」が発行され、その№2で要約が掲載されているので、この日記にも掲載させていただきます。
「『非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう(フィリピ2章15・16節)』との御言葉が心に響く。ここで覚える逝去教師・逝去宣教師たちは、私達と同じ日本基督教団の教師としてお仕えされた方々であり私達の同労者である。これらの方々の献身的なお働きがあって多くの教会が支えられてきた。その事を覚えて心から感謝を申し上げたい。今日の御言葉16節以下は、全ての逝去教師・逝去宣教師の歩みと重なる。主イエスを信頼し、主の召しにしっかりと応えて、それぞれの土地に遣わされた。それは、世にあって星のように世の光として輝かれ、主の僕として命を使い身を削って、その使命を果たされた。その使命を貫くことが出来たのは、それぞれの土地で命の御言葉に触れ、その上に堅く立たれたからである。その一人一人の伝道者は、主に示された道を走りぬく中で、喜び悲しみを全て天に積まれ全てを主に託された。それは、主の日に誇るためである。思えば伝道者は、主の召しに応えて仕えるものとされるが、その中で常に、自分自身の欠けや足りなさ、弱さを覚える。しかし、そこにこそ神の力が豊かに現れるから励まされ力づけられる。だから、多くの逝去者の働きは、『労苦した事も無駄ではない(2章16節)』事を確信させられる。日々の歩みの苦楽を共に分かち合って喜んでくださる救い主イエス・キリストを仰ぎ見つつ、逝去者達が歩んできた道を私達も従順に受け継いで参りたい。」
読み上げられた逝去者の中で、少なくとも20名の皆さんを存じ上げており、中には深く教えられ、また親しくお交わりをいただいたのでした。早川規先生は私が1979年に大塚平安教会に赴任したとき、同じ湘北地区の翠ヶ丘教会の牧師でした。まだ新任でよく分からない私に、まず声をかけてくださり、何かとお交わりをいただきました。先生は前橋教会に転任し、さらに隠退されても開拓伝道をされていました。逝去された2005年2月16日より約2ヶ月前に他の牧師達と共に一泊でお交わりをしたばかりでした。照澤康晴先生は私が神学生時代に他の神学生と共に北海道のキャラバン伝道を行なったときお会いしました。その後、神奈川教区の箱根伝道所に赴任され、お会いするたびにキャラバンのことをお話しするのでした。半澤光雄先生は神学校の同窓生でした。卒業してからお会いする機会がありませんでしたが、逝去される半年前にお電話をいただきました。しかし、私が留守中であり、後で電話するつもりでいたのですが、忙しさにまぎれてとうとう電話しませんでした。その後、逝去を知り、申し訳なかったと思っているのです。鵜飼勇先生は私が神学校を卒業し、補教師になったときは東京教区の総会議長でした。青山教会に赴任しましたので、鵜飼先生より補教師の准允を受けたのです。その後、先生には当時の混乱において、東京教区も総会が開けなくなるのですが、総会の壇上に居て苦渋に満ちてたたずんでいたことが思い出されます。伊藤忠雄先生は湘北地区の橋本教会の牧師でした。山本菊子先生は宮城に居る頃、共に築館開拓伝道しましたので、思いで深い先生でもあります。その他、存じ上げている先生方のいろいろな思い出があります。これらの先生方とお会いし、お交わりをいただき、指針を与えられて今日の私があると思っています。
やがて、私も教団総会の逝去者記念礼拝で名前が読まれるでしょう。その時まで、今与えられている職務を担いつつ歩むでしょう。
聖書の言葉
「召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、いっそう努めなさい。」(ペトロの手紙<二>1章10節)