鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

いろいろな務め(教団書記として)

今日は日本基督教団総会が24-26日に開催されるので、午前中は役員会が開かれ、午後からは常議員会が開かれました。役員会は教団議長、副議長、書記の三役と共に幹事も加わります。総幹事、総務幹事、宣教幹事等と共に教団の日常の歩みを相談するのです。三役は会議だけではなく、教団のすべての事柄にかかわらなければなりません。従って、見えない部分での働きの方が多いといえるでしょう。教団には常設委員会(宣教、教師、信仰職制、教師検定、予算決算、世界宣教協力)、常設専門委員会(伝道、教育、社会)、特設委員会(在日韓国朝鮮人・日韓連帯特別委員会)、常議員会の下にある委員会(在日大韓基督教会と日本基督教団との宣教協力委員会)があります。さらに宣教研究所(宣教研究所委員会)、出版局理事会、年金局理事会、部落解放センター、宣教協力協議会(CoC)代議員、日本キリスト教協議会NCC)総会代議員の組織があります。三役はそれらにすべて出席するのではありませんが、必要に応じて三役が分担して出席します。また、これらに関わる幹事が役員会で報告を行います。これらは教団内における取り組みですが、教団は海外の教会と宣教協約を結んでおり、交流を深めています。宣教協約を結んでいるのは大韓イエス教長老会(PCK)、韓国基督教長老会(PROK)、基督教大韓監理会(KMC)、スイスプロテスタント教会連合(SEK)等です。さらに台湾基督長老教会(PCT)との宣教協力を進めています。これらの教会が総会を開催するときには、教団からも出席し祝辞を述べるのです。日本基督教団の総会にはそれらの教会からも代表者が出席し、祝辞をいただくのです。
こうして役員会が開かれては出席するのですが、月にして二回くらい開かれています。西早稲田の教団に行くには大和駅から小田急線で新宿駅に行き、JR山手線で高田馬場駅に行き、そこからは歩いても行けますがバスに乗ります。歩いて20分でいきますが、この年になって20分歩き、すぐに会議が始まると、軽い疲れから居眠りが出てしまいます。なるべく体力を温存して置きたいのです。大和から新宿まで約1時間を要します。途中から座れないこともないのですが、立ったままで新宿まで行くのも疲れます。それで、ロマンカーに乗っていくことを常としています。午前11時と11時30分がある他は、大和には夕刻までロマンスカーがありません。なるべくどちらかの電車を目標とするのでした。帰りは大和に停車するロマンスカーは1時間に一本しかなく、乗れない場合は、相模大野または町田まで乗り、そこから乗り換えることにしています。
書記に就任して2期4年、雨が降っても雪が降っても、もちろん晴天の日も西早稲田に通いました。本日の役員会が最後になるのです。書記に就任するまでは、教団の歩みについてはあまり関心を持ちませんでした。神奈川教区議長時代は、常議員会には要請陪席者として出席していました。私が現在の大塚平安教会に赴任するのは1979年であり、それまでは宮城に7年、東京に4年間いましたが、日本基督教団の歩みについては、問題意識もなく、教会の宣教の課題を担ってきたのです。書記に就任することにより、教団にはいろいろな課題があり、担っていくことの重い意味を示されてきました。随分と学びが深められたと思います。しかし、書記の職務が終わるにあたり、また、あまり関心を示さないで歩んでしまうのではないかと、自分自身の大雑把な性格に心配をしています。
4年間の書記の務めで得をしたと思っているのは、5月の教区総会に教団問安使として出席することでした。もっとも、教区によっては問安使に対してきつい質疑があり、対応に苦慮するのですが、何よりも知友と再会できることを喜びとしました。神学校卒業以来の再開もあり、まもなく天に召される同窓の牧師とも会うことができたのです。
大塚平安教会の皆さんには背後にあって常にお祈りしてくださり心から感謝しております。
聖書の言葉
「務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。」(コリントの信徒への手紙<一>12章5節)