鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

主の指の業 (てんとう虫美術教室のこと)

毎週木曜日と金曜日に絵画教室が開かれています。しかし、今週はお休みのようです。いつも木曜、金曜日になると、絵画教室に来る子ども達で、なんとなくごたごたしているのですが、お休みの日は深閑としています。「絵画教室がないと落ち着くねえ」と思わず言ってしまいました。「てんとう虫美術教室」と言われています。教室を開いている倉重光則さんは新進作家として、その世界に知られているそうでありますが、どうも私にはよくわからないのです。倉重さんの作品は、いわゆる画ではなく、広い空間に蛍光灯等の照明を使ったりして作品を作るのです。場合によっては体育館でもホールでも全体が作品となります。日本より世界の倉重として知られています。アメリカやヨーロッパの国で個展を開いたりしています。まあ、私が紹介するような簡単な世界ではありません。作品はそういう世界ですが、子ども達の絵画指導はとても良いと思っています。子ども達は喜んで通ってきています。一人ひとりの個性を引き出して、子ども達ものびのびと作品を完成させているのでした。時々、幼稚園の前にある大塚本町郵便局に子ども達の作品が展示されます。一人ひとりの作品に評価を記しており、本人を励ます暖かい言葉が添えられているのでした。
倉重さん夫婦が園長を訪ねたのは、もう25年も昔の頃でした。ある日、まだ若いお二人が見えました。いろいろな作品を持参して、他の教室で指導している子ども達の作品を見せながら、この幼稚園をお借りして教室を開きたいとの申し出でした。その頃、ピアノ教室、ヴァイオリン教室、ヤマハ音楽教室等に教室を貸していたので、この上教室を貸すのは、どうかなとの思いがよぎりました。しかし、決して誇張せず、素朴な姿が私の心を動かしました。毎週木曜日に教室を使用することを承諾したのです。おそらく、最初は生徒も少ないだろうと思い、会場費も半額で提供したのです。ところが、教室を開いて2、3年後には生徒が多くなり、金曜日も提供する羽目になってしまいました。従って、今は木・金曜日の保育終了後から夕刻にかけて教室を開いているのです。幼稚園の子ども達、そして卒業しても引き続き教室に通っています。倉重さんが一人ひとりに語りかけながら、創造の世界へと導くとき、子ども達は生き生きと絵に向かうのでした。
絵画教室は子ども達ばかりではなく、お母さん達も楽しく画を描いています。なんか懐かしくて、描いてみたくなりましたと言われます。結構年配の方もこの教室で画を描いています。倉重さんの指導がとても良いようです。画を描くと共に人間的なふれあいがあるのでしょう。画を描くことばかりでなく、工作やゲーム的なことまでしています。年末にはジャガイモパーティーなるものを催して楽しんでいます。
時々、教室に顔を出すと、大体が幼稚園在園生、卒業生です。同窓会でなくても、ここで卒業生と会うことができるのです。いまだに私の顔を見ると「あっ、園長パパだ」と言います。
「絵画教室がないと落ち着く」と記しましたが、子ども達は絵を描いてから園庭で遊ぶことが楽しいようです。自分が書くべき画を描いたら、帰っても良いわけですが、幼稚園の子ども達はお母さんが迎えに来るまで、幼稚園にいます。そういうことで木、金曜日はなんとなく落ち着かないのです。しかし、落ち着かない時間帯は、子ども達が幼稚園を楽しんでいるわけですから、良しとしなければなりません。
とても面白いと思っているのは、画の指導は倉重夫妻でしておりますが、子ども達が先生にたいして「男の先生」「女の先生」と呼んでいることです。普通は名前で呼ぶのでしょうが、なぜか男と女の先生なのでした。いろいろな意味合いが考えられますが、二人で指導しているということなのでしょう。むしろ、素朴な姿勢が伝わってくるようです。子ども達が空想に満ち、創造性を深めて仕上げる作品は、男の先生と女の先生とのふれあいを通してなのでしょう。
聖書の言葉
「あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。」(詩編8編4-5節)