鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

残された香り(葬儀を行ないつつ)

さがみ野ホームの召天者記念礼拝が、本日の午後1時30分から開かれました。毎年9月の終わりの日曜日に行なわれています。会場には召天された皆さんの写真が飾られ、改めてお元気にホームで過ごしていた皆さんを思いうかべました。式次第には38名の皆さんを紹介し、短い思い出が記されていました。そのうち30名の皆さんは私が葬儀の司式をしています。さがみ野ホームは1979年8月に設立されました、私はその9月からさがみ野ホームの嘱託牧師に就任していますので、ホームの葬儀はすべて担当して来ました。今日まで27年を経ていますが、多くの皆さんとお交わりを持ち、またお別れしてきました。
葬儀は綾瀬ホームもあり、こちらも30名前後の皆さんの葬儀の司式をしています。そして大塚平安教会では24名の教会員の葬儀の司式をしていますので、大塚平安教会に赴任してから27年間で85名前後の葬儀をしていることになります。実はその前の陸前古川教会には7年間在任していましたが、一度も葬儀をしたことがありませんでした。さらにその前の青山教会時代は副牧師ですから、葬儀は主任牧師が司式をしていました。4年間のうち、司式ではなく、告別式で聖書を読んだことがあります。また、教会員が召天されたとき、主任牧師が不在であり、副牧師の私が枕辺のお祈りをしたことがありました。そして、宮城の教会に赴任しますが、教会での葬儀はありませんでした。数人の教会員が召天されましたが、いずれも家の宗教として仏式で葬儀が行われるのです。ある日、昔からの教会員が召天されたとの連絡がありました。もう、全く教会には来ていない方でした。しかし、家族の皆さんは、亡くなった方が洗礼を受けていることを知っています。教会に行ってなくてもキリスト教に入っていると思っていました。葬儀は家の宗教である仏式で行ないます。ついては和尚さんが来る前に、教会の牧師さんに来てもらい、お祈りをしてもらうことにしたのです。それで、その方の枕辺でお祈りをささげたのでした。別の例は、町の有力な方でした。教会員ですが、ほとんど礼拝には出席しません。それでも時には礼拝に出席することもあったのです。病院で療養するようになり、お訪ねしては聖書を読みお祈りしていました。いつも「アーメン」といってはお祈りを喜ばれていました。そして、召天されたとき、やはり仏式の葬儀でした。お連れ合いも教会員なのですが、親戚縁者の手前、キリスト教の葬儀をするわけにはいかないのです。しかし、仏式の葬儀が終わった後に、記念会を教会で開いたのでした。葬儀らしい葬儀はそれくらいでした。地方においては、本人がキリスト教の信者でも、葬儀は家の宗教として仏式で行われるのです。
大塚平安教会に赴任してからは、葬儀の多いことに驚きましたが、葬儀の司式をするほどに、私自身の成長が導かれたと思っています。葬儀は召天された方とのお別れのときですが、葬儀を通して、生きているものが、それぞれの人生を励まされることがキリスト教の葬儀なのです。葬儀によって、亡くなった方を成仏させるとか、供養するということは考えていません。亡くなった方は神様によって祝福へと導かれていると信じます。むしろ、生きている者が、永遠の生命への人生を励まされたいのです。85の葬儀を通して、わたしはひたすら生きる希望をお話してきたのです。
葬儀は生きた人生の総まとめであります。従って、キリスト教の信仰をもって生きたならばキリスト教の葬儀をするべきなのです。私の両親は浄土真宗の信仰を持っていました。父は常にお寺に行っては法話を聞いていました。その両親の葬儀は、牧師の息子が仏式の葬儀を行なったのでした。それが、両親の人生の総まとめであるからです。「この家の息子さんは牧師さんなんですって」と葬儀では会葬の皆さんが話していました。花輪の最初は「大塚平安教会」ですから、不思議な葬儀でもありました。生きている人の葬儀ではなく、亡くなった方の葬儀であるのです。私たちも人生の締めくくりはキリスト教の葬儀であるべきなのです。

聖書の言葉
「この香は聖なる者たちの祈りである。」(ヨハネの黙示録5章8節)