鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

人々の模範となりなさい(子ども達の礼拝)

金曜日は幼稚園の合同礼拝です。全園児が二階のホールに集まり、礼拝をささげるのです。さんびかを歌い、聖書が読まれるのを聞き、園長のお話を聞きます。園長のお話はいつも3~5分程度ですが、子ども達は静かに聞いてくれます。静かに、とことさら言うのは、夏休みになると卒業した一年生の同窓会が開かれ、そこでの礼拝がよぎるからです。久しぶりに出会った喜びが、礼拝中もおしゃべりしてしまいます。学校では授業中もそういう傾向があることを聞いています。幼稚園の頃は、礼拝中は静かにお話を聞く姿勢を持っていたのです。
合同礼拝の日には、その日読まれた聖書の言葉が記された豆カードが配布されます。クラスでカード帳に張り、家に持って帰ります。家では、そのカードを見ながら、今日はどんなお話であったか聞いてください、とお願いしています。うちの子は何にも言わないと言われるお母さんがおられますが、いろいろとお話するお友達がいます。聖書のお話をちゃんと心に止めているのです。礼拝では月の暗唱聖句を皆で唱和します。短い言葉ですが、一週間経つと忘れてしまいます。先生たちも、いろいろな暗唱聖句があるので、つい今月の暗唱聖句を忘れてしまうこともあります。ところがその暗唱聖句をちゃんと覚えているお友達がいます。こうして、子ども達は聖書のイエス様のお心を示され成長しているのです。
一人の園児のお母さんがお話をしてくれました。「お母さん、お腹がいっぱいだけではだめなんだよね。心もいっぱいにしないとだめなんだよね」とお子さんが言われたそうです。お子さんと共に幼稚園に登園する道で、お子さんがお話されたと言われます。金曜日は絵画教室があり、お迎えに来られたお母さんと、いろいろと立ち話をしているとき、お母さんがお子さんの様子をお話されたのでした。「お腹もいっぱい、心もいっぱい」のお話は、前週の11日の会堂礼拝でお話をしたのです。年長になると会堂礼拝をいたします。年長児だけが大塚平安教会の礼拝堂に集まり礼拝をささげます。いつもは金曜日の合同礼拝で全園児が礼拝をささげていますが、星組の年長児は月に一度、教会の礼拝堂で礼拝をささげます。その礼拝では「主の祈り」を示されています。主イエス様が教えてくださった「主の祈り」について少しずつお話しています。11日の礼拝では、「我らに日用の糧を、今日も与えたまえ」についてお話しました。
私たちにとって「日用の糧」は何よりもお腹を満たす食べ物でありましょう。生きるために食べなければなりません。しかし、私たちが生きるのはお腹を満たすだけでは、人間として生きられないのです。体を支えるのは食べ物ですが、心も支えられなければならないのです。お腹を満たし、体全体を支配するのは心なのです。心をいっぱいにしてこそ真の人として歩みがあるのです。心の食べ物、それは主イエス様のお心であります。会堂礼拝ではそのことについてお話しました。子ども達はこのことをしっかりと示されています。それだけでなく、実践的な生き方へと導かれているのです。もう、年長のお友達は「主の祈り」を覚えています。大きな声で「主の祈り」を唱和しています。主の祈りを実践しつつ成長することを願っています。

「主の祈り」
天にまします我らの父よ。ねがわくは、み名をあがめさせたまえ。み国をきたらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救いだしたまえ。国とちからと栄とは、限りなく、汝のものなればなり。
アーメン。
この「主の祈り」は個人の祈りではなく、複数の祈りでもあります。「わたしたち」皆にしてくださいと祈るのです。おのずとお友達を心に留めながら祈るのです。
聖書の言葉
「あなたは、年が若いということで、誰からも軽んじられてはなりません。むしろ言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。」(テモテへの手紙<一>4章12節)