鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神はそれぞれの生き物を造られた(ネズミ退治)

ネズミを見たと連れ合いが言います。そういえば、数日前に教会の天井裏でごそごそと音がしていました。そのときもネズミとの思いがありましたが、あまり気にも留めませんでした。そしたら、今日の朝になって、どうやら子ネズミかと思われる鳴き声がしています。生まれたらしいのです。連れ合いが鳴き声がしたあたりを、肉たたきの木のハンマーでたたいていました。それが一番良い方法であると思います。ネズミの退治には籠があります。トリモチのついた板があります。しかし、それらに引っかかったネズミをどうすれば良いのでしょうか。
ここ最近はまったくネズミの気配がありませんでした。しかし、一年くらい前にはネズミがたくさん出て困りました。教会も牧師館も結構古くなっている建物で、ネズミが入りやすいようです。とにかく、この界隈にはネズミが結構いるようでした。一階の天井裏に入り、上にめがけて穴を開けると居室になります。実に厚い畳まで穴を開けて俳諧します。壁からも随分と現れました。その都度、ブリキで塞ぎ、出てこないようにしますが、また別の穴を作ってしまうのです。人間の作戦は、ネズミ捕りの籠をあちらこちら仕掛けることです。そしてトリモチの板を置いておくことですが、ネズミならず人間が踏んでしまい、いくつもスリッパを駄目にしました。人間の作戦は、当初は人間の勝です。しかし、ネズミの学習力はたいしたもんで、仲間の哀れな姿を見た後は、用心して近づかないのです。ネズミは家の中だけではありません。ウサギ小屋や鳥小屋にも現れます。動物の餌が目当てですが、鶏が足をかじられたこともありました。倉庫には餌の袋が置いてありますが、それらも襲われるというわけです。いろいろと工夫をこらし、とにかく、いっぱい捕まえました。あるときは一つの籠に子ネズミが5、6匹も入っているのです。さて、捕獲したネズミをどうしましょう。ネズミを近くで見るとてもかわいいもんです。
昔、宮城にいる頃、書斎で机に向かっていましたら、ネズミがいることにいることに気がつきました。その建物もかなり古いものでした。ストーブに背を向けて机に向かっているのですが、ふとストーブの方に視線を向けると、ネズミがストーブの横で暖を取っているのです。それほど大きくありません。冬の寒さの中で、暖かい格好の良いところを見つけたわけです。ストーブの上に乗せてあるヤカンがちんちんと小さな音を立てています。ネズミにとって子守唄になっているのでしょうか。私が動くと、きっと逃げていくでしょう。なんかかわいそうになり、ここは一つ、もう少し暖まってもらいましょう、というわけで、机に向かったまま本を読み続けたのでした。結構時を経たと思いますが、振り返るとネズミはいなくなっていました。ようやく寝れるか、と安堵したことが思い出されます。
ゴキブリだって、よくよく見ればかわいいもんです。しかし、何故かゴキブリを見つけた瞬間、退治する思いに満たされます。ハエたたきを探し、ティッシュを握り締めるのでした。害虫であり、害のある生き物ですから退治しなければなりませんが、なんともかわいそうだと思います。夜、寝ていると、カリカリとかじる音で目が覚めます。柱や板をかじり穴を開けているのです。そのあたりをたたきますと音が止みますが、またしばらくするとかじり始め、結局その夜は眠られなかったこともありました。なんといっても食べ物の被害です。食べ物は冷蔵庫に入れておくものばかりではありません。床の上や戸棚においてある食料品を食べてしまうのです。やはりネズミは退治しなければなりません。肉たたきでたたいて追い出しても、どこかで悪さをするのです。人間にとって、それでいなくなれば喜びですが、ネズミがいなくなるのではありません。ここは一つかわいそうでも撲滅するしかありません。連れ合いが肉たたきでたたいてから、音が聞こえてきませんが、また一年前の戦争が始まるかも知れません。あの時はいったい何匹捕まえたことでしょうか。
聖書の言葉
「神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。」(創世記1章25節)