鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

生涯の日を数える(敬老の日を迎えて)

敬老の日を迎え、最近は富に長寿の皆さんを重く受け止めるようになりました。例えば、80歳の方を心に止めるとき、果たして自分がそんなに生きられるか、と思うのです。人生を長く生きるということは、当たり前ではなく並大抵ではないと思うようになっています。私の父は97歳、母は91歳まで生き長寿とされており、息子の私も長生きするだろうと言われていますが、そういうわけにはいかないでしょう。
大塚平安教会は毎年、教会の創立記念日に永年信仰者(50年)、長寿者をお祝いしています。長寿者は75歳になるとまずお祝いし、その後は5年毎にお祝いします。80歳、85歳、90歳、95歳、100歳のお祝いをしますが、教会員の多田理子さんは103歳で召天されました。昨日紹介した多田寛一さんはお孫さんでもあります。100歳を越えてもお元気でした。多田さんは1926年に洗礼を受けておられるので、信仰においても77年間の歩みでした。100歳になっているとき、連れ合いと共にお訪ねしました。連れ合いの手を取りながら「なんて暖かい手なのでしょう」と言いつつ、いつまでも握っておられました。まさに長寿者であり永年信仰者でありました。信仰に生きるものの希望であるでしょう。
長寿といえば、大塚平安教会が75歳をもってお祝いをすると決めたとき、いくつかの意見がありました。75歳をもって長寿とするのは早いというわけです。そのお考えの中には多田さんのような年齢を思われているのです。5年毎のお祝いでありますので、80歳を過ぎたら毎年お祝いすべきだとの意見もあります。実際、先日は93歳になる大矢さん、91歳になる関さんをお訪ねしましたが、お祝いしなければならないのではないかと思いました。お二人とも90歳の長寿お祝いをしています。この年齢になって、一年一年がまさに大切な日々であるのです。
私の父は97歳まで生きましたが、いつも数え年で言うので、自分では98歳と公言していました。目標は100歳でした。そして、願うことは夫婦で到達することでしたが、母が91歳で終えたとき、いかにも残念な思いが伝わってきました。この年齢になると金婚式を迎えていますし、確かダイヤモンド婚式も迎えたと思います。二人で長生きをすること、これは当たり前でありますが、なかなか困難でもあります。父は食生活をきちんとしていましたので、案外無頓着な母に、食べすぎとか、栄養の取りすぎだとかと注意していました。そんな努力があって長寿の栄冠を得るのでしょう。実際は97歳でしたが、父の切なる思いを受けとめて、墓誌には98歳と刻んでいます。
幼稚園の欅の木は、今年は特に枯れ枝を落とします。先生たちが毎日のように枯れ枝拾いをしています。「この木も年取ったので枯れ枝が出るんですね」と先生が言っています。その言葉を聞いて、今まで思ったことがないのですが、私と同じなんだと示され、何か妙に愛着が沸いてきたのです。年を取ると不要なものを捨てていくこと、これは大切なことなのでしょう。秋になると葉を落とし、しかし春になれば再び美しい若葉をつけますが、本体そのものも不要なものを落としているのです。そういえば、欅の木をよくよく見ると、あちらこちらで皮がはがれたりしています。そして、枝はいくつも枯れ枝になっているのでした。もう若くないんだ、自分と重ねながら欅の木を仰ぎ見たのでした。
若い頃から必要と思える本を買い集めておきました。日々の生活でゆっくり本を読む時間がないのですが、隠退したら毎日読書三昧に過ごそうと思っています。おそらく読まないでしょう。読む気力がなくなっているでしょうし、後退が始まっているのですから無理というわけです。こんなに本を持っていても、後の人が困るということなのです。植物にしても動物達にしても、それとなく終わりの準備をしているのに、意外とのんきに構えているようです。
敬老の日を迎え、人生を改めて考えさせられたのでした
聖書の言葉
「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」(詩編90編12節)