鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

互いに愛し合う(アガペセンターとの関わり)

本日の礼拝にはアガペセンターに入居されている教会員の多田寛一さんが出席されました。多田さんは車椅子の生活であり、礼拝に出席するときにはボランティアに依頼し送迎してもらいます。教会としても送迎を考えているのですが、スタッフになる人がいないのです。多田さんが出席されるようになって、再びアガペが近くになったような思いでいます。歴史を通してアガペとかかわりを持っているのでした。
28年前に大塚平安教会に赴任したとき、長内敬一さんという神学生がいました。東京神学大学の学生であり、アガペに宿直のアルバイトをしていました。そのことでアガペを知るようになりますが、ある日、アガペの所長が一人の宣教師をお連れになって訪問されたのです。カナダから来た宣教師であると電話で話しておられましたが、お会いすると日本人でした。もっともカナダ籍の二世の方です。日本語も普通に話されます。二宮アキイエ先生という方です。当分アガペのお仕事をされるということで、お子さんのメロディーちゃんを幼稚園に通わせたいと言われるのです。しかし、お住まいは南林間にあるアガペの中ですから、幼稚園の送迎バスもそこまでは行っていません。結局、通うことはできませんので幼稚園はあきらめましたが、教会の礼拝にはご家族で出席されるようになりました。下のお子さんはテモテちゃんといい、1、2歳であったと思います。二宮先生には、時には礼拝の説教を、また聖夜礼拝でもお話をしていただいたことがあります。夏にはご家族で野尻湖の宣教師村で休暇を過ごしていましたが、ある夏には私どもの家族も一緒に過ごさせていただきました。もっとも私は行くことができませんので、連れ合いと三人の子ども達です。良いお交わりをいただきましたが、二宮先生は神戸に転勤になり、お別れすることになったのです。
その頃、アガペの指導員をされていた斉木さんとも親しくお交わりをしていました。その斉木さんが大塚平安教会・教会学校の夏期学校に参加するというのです。その年は丹沢・ヤビツ峠の青山荘で開催されました。驚いたように記しているのは、実は斉木さんは車椅子の生活であったのです。青山荘は山の中に建てられており、しかも二階の広間で礼拝したり、分級をしたりするのです。斉木さんの参加への意気込みに、むしろしり込みしていた私達が励まされたのでした。ご自分で車を運転します。後は現地でお手伝いすることです。青山荘の二階に上がる階段はかなり急勾配であり、夏期学校に参加した子ども達が、力を振り絞って車椅子ごと斉木さんを二階に上げました。子ども達にとって斉木さんとのふれあいは、いろいろな学びとなりました。斉木さんは後にアガペの所長になっています。お招きを受けてクリスマスの集いでお話をしたこともありました。
大塚平安教会の皆さんも何かとアガペと関わります。井上フサ子さんは永年小学校の先生でしたが、定年退職してからはアガペに行き、若い人たちの勉強相手になっていました。最近、アガペが建て替えられ、とても良い建物に生まれ変わりましたが、外灯を寄贈されたりしています。長内さんが神学生の頃、宿直のアルバイトをしましたが、その後、当教会の青年が順次アルバイトをしています。
アガペには歴史を通してつながりがありますが、最近はなんとなく関わりが薄くなったような思いでいました。そしたら教会員の多田寛一さんが入居されることになり、早速連れ合いと共にお訪ねしました。所長の斉木さんも大喜びで出迎えてくださいました。アガペにかかわり私達家族とも関わったベトナム人のグエンさんもいました。斉木さんとお話しすると、それらの人々の思い出が尽きません。
アガペとは「愛」を意味します。その愛は「神の愛」とも言われ、人間が持つエロスの愛という個人の感情の愛ではありません。自分の気持ちを越えて、自分の前にいる存在を受け止めることがアガペなのです。アガペセンターの働きを、祈ることを示された一日でした。
聖書の言葉
「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。」(ヨハネの手紙<一>4章7節)