鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

今日、御心に生きる(今日は何の日?)

車のキーを入れると、同時にナビが作動し、今日は何の日であるかと言っています。今日、14日は「メンズ・バレンタインデーの日」と言っていました。こんな日をどこで定めたのか。まあ、ナビを作った会社なのでしょう。365日、何かの日にしています。歴史的な出来事に関係する場合には、その意義の日として示しています。例えば、8月15日は終戦記念日ですと言っていました。しかし、歴史的にも何もないような日は数字でその日を決めているようです。8月3日は「野菜の日」というわけです。従って、ナビが今日は何の日ですと言っても気に留めないのですが、「メンズ・バレンタインの日です」と言ったとき、苦笑もしましたが、腹立たしくもありました。2月14日はバレンタインデーであり、世の中があまり騒ぐので、苦々しく思っています。その日は女性が男性にチョコレートを贈る日になっているからです。本来のバレンタインさんのことを無視して、ひたすらチョコレートの日とするのは、どんなものかと思っているわけです。そもそもバレンタインさんは、いろいろな説がありますが、少なくても神様の愛を人々に示したことは事実です。それが、女性が男性へ愛の告白を示す日となり、もっぱら商売に乗せられてチョコレートの日となっています。あまりこの日を攻めると、来年はチョコレートを食べられなくなるので、あまり追及しませんが、それに対して「メンズ・バレンタインの日」とは、何でこんな日を設定するのでしょう。
今日は何の日か、いろいろな日でもあります。歴史の重要な日でもあります。あるいは歴史において意義ある働きをした人の生まれた日とか、亡くなった日でもあります。それらの出来事を思いつつ今日の日を過ごすことには意義があるでしょう。カレンダーの中には、毎日歴史の出来事に関係する人々を紹介しているものがあります。因みに9月14日を見ると、津田梅子さんが津田塾大学の前身、初の女子英学塾を1900年のこの日に開いたとしています。東京の麹町に6畳2間の借家で開校し、生徒は6名であったとのことでした。歴史の重みを示されます。山北宣久先生(聖ヶ丘教会牧師、日本基督教団総会議長)が「今日は何の日?」という本を書いています。9月14日を開いてみると、ドイツの新約聖書学者・ディベリウスが生まれた日であり、カルタゴの司教であり聖人ともされているキプリアヌスが死んだ日と記していました。コンスタンティノポリスの主教・クリュソストモスが死んだ日とも記していました。そして、いくつかのエピソードも紹介しています。説教で語られた言葉として、「危険なのは戦っている間に倒れることではない。一度倒れたら倒れたままでいることである。」を紹介しています。彼の書簡の中から、「讃美歌をうたうのは悪魔の業を防ぎ、神の霊を満たすため」であると紹介しています。聖書の世界では紀元前800年に預言者の言葉が記録されています。約3千年の資料がありますから、365日の何かの資料があるわけです。それにしても資料を集める働きには敬意を表します。いろいろ参考にはなります。
今日は何の日か。歴史的にも何らかの日ですが、歴史の今日と、私が今日を生きることとは異なるでしょう。従って、今日は何の日かと問うならば、今日は私の日ですと答えるでしょう。昨日の私ではない。まして今までの私でもない。今日の私は新しい私なのです。眠られない一夜を過ごした人がいるでしょう。昨日まで諸問題を抱えて大変な日々でした。あるいは、昨日は大きな喜びを持たれた人もいるでしょう。しかし、今日はまた、新しい私の日でありました。出会う人もいつもの人です。仕事も昨日の続きと思われます。手帳を見つめながらの歩みをしていますが、今日は新しい私の一日なのです。
今日は私の日です。今日の朝は綾瀬ホームの礼拝を行い、終わってから座間地区の家庭集会が開かれました。久しぶりに井上フサ子さんのお宅で開かれ、綾瀬からも数人が出席しました。そのように一日を過ごしたことに重みがあるのです。
今日は何の日か。私の日です。あなたの日です。それぞれ大事な日でありました。
聖書の言葉
「今日わたしが、『行なえ』と命じた戒めと掟と法を守らねばならない。」(申命記7章11節)