鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

祝福される名(園長の出席取り)

毎年、9月になると園長が登園する子ども達の出席を取ります。玄関前に机を置き、出席簿を並べておきます。登園した子ども達は「お名前付け所」の園長のもとに行き、自分の名前とクラス名を告げるのです。園長は出席簿の名前を探しながら、チェックするのでした。出席簿を見ると、昨日はお休みであったようで、その理由を聞いたりします。熱が出たとか、病院に行った等の返事があります。そこで短い対話があり、ふれあいがあるのでした。なかなか自分の名を言えない子どももいます。でも、何とかして言おうとしている姿が感じられます。お母さんと道々話していたそうです。「今日は、言うからね」と、決意をもって園長の前に来るのですが、声が出てこないのです。そういう努力があって、出てきました。少し小さな声ですが、ちゃんと自分の名前を言うのです。お母さんも、お子さんが自分で言えたことをとても喜ばれていました。言葉に障がいがあるお友達には、園長が名前を呼んであげます。すると手を上げて答えてくれます。自分の名を言い、あるいは確認することはとても大切なことでもあります。
こうして出席を取っていると、幾人かの子ども達が園長を取り囲み、お手伝いならず邪魔をするのです。園長に代わって出席を取ってくれるのは良いのですが、園長そのものが興味の対象であり、ポケットから免許証を取ったり、ハンカチを取ったりします。そのため、出席を取るときは、身軽な姿にもなります。ほとんどポケットには何も入れていません。膝の上に腰掛けたり、おんぶしたりで結構受難のときでもあるのでした。普段、体のふれあいがないので、とても良いときとは思っていますが、やっぱり疲れます。でも、このひとときはとても良いふれあいと思っています。
園長が子ども達の出席を取ることについては、他の幼稚園を参考にしたのでした。もう、25年以上も昔になります。その頃、いくつかの幼稚園の見学をしました。一つの幼稚園を見学していたとき、登園する子ども達の出席を取っている先生がいました。園長ではなく先生でした。登園する子ども達が、必ず出席を取る先生のもとへ行き、自分の名を告げている姿は、何かしら生き生きと示されたのです。早速、このことを取り入れたのです。当初は先生たちもしていましたが、むしろ園長の務めであることを示され、今ではもっぱら園長の職務としています。
この出席付けを9月にするのは、一学期ではまだ幼稚園に慣れていない子ども達もいるからです。けれども二学期ともなると、一段と成長した子どもになっています。そのため二学期の9月に行うことにしているのです。10月の始めには出席付けはしなくなりますが、今の状況であれば、もう少し続けても良いかなと思っています。今の状況ではないとき、それは今より子ども達が多かったときです。15,年くらい前は130名の園児がいました。お迎えのマイクロバスが到着すると、バスから降りた子ども達が「お名前付け所」の前に並びます。10月も半ばを過ぎると結構寒くもなっています。30名の子ども達が順番を待つには気候的にもよろしくない状況になるのです。それで、9月中にしました。しかし、今は73名の子ども達です。そして、マイクロバスでどっと降りてくるのではなく、ワゴン車ですから12、3名の子どもであり、名前付けもすぐに終わるのです。以前に比べ、比較的早く終わってしまう出席取りにさびしさもあるのでした。それはともかく、園長が子ども達とお話できる良いときであり、続けたいと思っています。園長が出席取りをすることができるのは月・火・水曜日であり、木・金曜日は朝から施設の礼拝があるのでできないことは残念です。
今日から始まった出席取りです。3歳児、4歳児は初めての経験です。園長が「お名前、教えて」と聞いても言えない子どもが何人かいました。すると、側で立って見ていたお友達が、その子のお名前を言ってくれるのです。もう要領がわかったので、明日からはきっと自分で名前を言うでしょう。自分の存在、自分の名前に誇りを持って成長することを願っています。

聖書の言葉
「神に従う人の名は祝福され、神に逆らう者の名は朽ちる。」(箴言10章7節)