鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

すべての部分が共に喜び…(トイレ思考)

今日は幼稚園の教職員が研修であり、園長が日直をすることになりました。夏休みでも預かり保育を実施しています。毎日5名前後が幼稚園で過ごすのです。お母さんがお仕事を持っている場合とか弟妹がいて大変なので預かりを利用する家庭もあるのです。また、今日は用事で出かけるときも預けられるのでした。こうして預かり保育の小羊組があるので、担当の教諭の他に日直がどうしてもいなければならないのです。今日は5人の子ども達が小羊組ですごすことになっていました。担当は一人の教諭ですので、もし何かがあった場合のために職員室で待機していなければなりません。実際、芝生広場で水遊びをしているとき、一人の三歳児の女の子がトイレに行くことになりました。担当の教諭は子ども達から離れるわけにはいきません。それで職員室の私に声をかけました。芝生広場は園舎から少し離れていますので、一人の子どものトイレのために、他の子どもをそこに残しておくわけにはいかないのでした。依頼されて女の子をトイレに連れて行きましたが、水遊びをしていて水着姿なのです。どうやってトイレを使うのか、要するに水着を脱がせなければなりません。そしてまた水着を着せるのですが、濡れた水着を着せるのは容易ではありません。何とか苦労して用向きを果たしました。
小さい子どものトイレの介助については、年長組がお泊り保育や卒業遠足で出かけたとき、多くの場合、東名高速の足柄パーキングエリアでのトイレ休憩でした。男の子のトイレに付いていくわけです。そこでいつも思うことは、子ども用の便器が少ないことです。男の子は大人用に背伸びして用を足す状態でした。冬の卒業遠足は雪遊びであり、スキーウェアーを着ているので、つなぎの服であり、用を足すのは結構大変でもあります。もう少し便利なものを開発して欲しいと思っています。スキー場でのトイレもついて行きますが、結構手間取りながらしているのを見ています。
今日の日記の出だしがトイレであったので、今日はこのままトイレあれこれを記すことにしましょう。以前のトイレはいずれも子ども用でありますが和式でした。和式のトイレは使えないので洋式のトイレの要望があり、ようやく洋式を取り入れたのは比較的最近でもありました。12、3年前に園舎の増改築を行ないましたが、そのときかもしれません。増改築で喜ばれたのは、大人用のトイレが作られたことでもありました。それまでは子どもと兼用であったのですから、教職員には不便をかけていました。
トイレの改善が遅れていたのは幼稚園ばかりではなく、市の上下水道の取り組みの遅れでもありました。浄化槽方式であり、時には汲み取り作業もしなければなりませんでした。上下水道に切り替えられたのは2001年でありますから、随分と遅れた取り組みでもありました。もっとも綾瀬市が市制になったのは約30年前であり、まだまだ未開拓の状況があるようです。
トイレを見れば、その幼稚園の姿勢が分かるといわれます。他園を訪問したとき、いろいろな園舎の仕組みや取り組みが紹介されますが、訪問者はそれとなくトイレを見ているのです。トイレの造りが良ければ、良い評価となります。ところがいろいろな取り組みが優れていても、トイレの掃除が行き届いてなかったりすると、園舎が立派でも印象が悪くなるのです。トイレの造りが悪くても、きれいに清掃されていることにより良い評価となるのです。
当園のトイレは、本来は男の子用と女の子用に別れていました。今は物置にしていますが、本来はトイレでもあり、従って、トイレへの二つの通路があったのです。最初の設計は随分とゆとりのあるものでした。一つの通路をつぶしても、結構広いトイレでもあるのでした。
数年後には園舎の改築を予定しています。夢の園舎を造ることですが、トイレも夢のような造りにしたいと願っています。
聖書の言葉
「神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」(コリントの信徒への手紙<一>12章24-26節)