鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

目を覚ましていなさいと…(車の盗難に思う)

昨日のことでありますが、日曜日の朝、子どもの教会に出席した園児のお母さんが、少し興奮気味に、車が盗難にあったことをお話されました。朝、お連れ合いが乗って行かれることになっており、車の発進する音がしたので、出かけたのかなと思われたのです。そしたらお連れ合いはまだ寝床にいるではありませんか。急いで車がおいてある場所を確認されました。あるべきはずの車がないのでした。すぐ警察に知らせ、手配をしてもらったと言うことでした。車の音を聞きながら盗難にあったのですから、悔やまれてならないわけです。いつの間にか無くなっていたというなら、それなりに気持ちを決めるのですが、自分の車の音を聞きながら、持ち去られるなんて、やりきれない思いではないでしょうか。実は、車の盗難については私も苦い思いを持っているのですから。三回も被害にあいました。
どういう訳か、私はニッサンにこだわっており、始まりは宮城の陸前古川教会に在任していた頃からになるでしょう。東京の青山教会に在任していた頃は、六郷土手に隣接する公団住宅に住んでいました。最初は電車で通っていましたが、羊子や星子が生まれ、家族で教会に出かけるにはどうしても車が必要でした。友人の斡旋で中古車のスズキフロンテという軽自動車を手にしました。それで教会を行き来していました。やがて宮城県に赴任するとき、家族の他に荷物もあり、中古の軽自動車バンを購入し、その車で宮城の教会に赴任したのでした。宮城の教会では、活動範囲も広くなり、軽自動車では物足りなく感じていました。たまたま中古自動車屋さんにニッサン・セドリックのバンが売られているのを知り、買い求めたのでした。荷台も広く、人も五人は乗れるし、利用範囲が増えると思ったのです。実際、教会の夏期学校が郊外で開催されたときには荷物をいっぱい詰め込んでいったことが思い出されます。ハイキングで疲れた子ども達をこの車に乗せること15人?でした。のどかな林道で、お巡りさんが来なかったから良いものの、若気の至りでありました。この車で家族五人が実家にも行きましたが、バンなので荷台がベッドとなり、夜中に走行したものです。
宮城から大塚平安教会に赴任する頃は、ニッサンセドリック乗用車に乗っており、この車はジーゼル車で燃費がとても良かったのです。ただ、音が高いので気になります。大塚平安教会で数年間乗っていましたが、今度はニッサンローレルに乗り、次は再びニッサンセドリックになりました。その車も古くなったので、再びセドリックを選びました。今まで一度として新車に乗ったことがありません。購入した車は中古車には違いありませんが、店頭の展示車であり、従って新車も同じでした。初めて新車に乗ったようで、なんとなくうきうきしていました。その新車にも等しい車に乗ること約一年、綾瀬ホームに出かけるために、駐車場に行きましたら車がありません。車は三日目に発見されました。車内の目ぼしいものはなくなっていました。そして、発覚を防ぐためなのでしょうか、消火器が使われ、車内は真っ白けでありました。車両保険に入っていますので保障してくれます。結局、修理した車に乗っていましたが、その後、バンパーとナンバーが盗まれました。そして、修理してから約一年後に再び盗難にあいました。今度は出てきませんでした。一ヶ月たっても発見されなければ保険が適用されます。結局、別の車にしましたが、今度は7、8年も前の車にし、セドリックは止めてグロリヤにしました。名前は異なってもニッサンには違いないのです。新しい車は盗まれるし、古い車にしたらカスリ傷が多くなりましたね、と車屋さんに言われてしまいました。
日本は治安が良いとされていますが、車の盗難についてはどうもよろしくないと思います。盗難にあわないように気つけ、備えをしなければなりませんが、この人生の備えもしなければならないと示されるのです。聖書は終末に対する備えを深く教えているのです。
聖書の言葉
「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強くいきなさい。」(コリントの信徒への手紙<一>16章13節)