鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

収穫の働き人(出身牧師を支える群れ)

8月の第四日曜日は横浜上原教会牧師の古旗誠先生の説教でした。大塚平安教会は、8月中は鈴木牧師のお休みとし、礼拝説教は他の教会の牧師に依頼することにしました。第一日曜日は横須賀上町教会牧師の森田裕明先生、第二日曜日は大船教会牧師の渡辺誉一先生、そして第四日曜日は古旗先生でした。第三日曜日は、予定した牧師の都合がつきませんでしたので私が担当しました。今年は出身牧師シリーズでした。今回、来てくれた牧師は神奈川県にいる出身牧師です。出身牧師は他にもいます。秋田県弘前南教会牧師の松村重雄先生、四国におられ、今は休職中の長内敬一先生です。大きな教会でもないのに、これだけの皆さんが牧師になったことを喜んでいます。出身牧師の皆さんは大塚平安教会の交わり、支えがあって今の働きがあることを述べ、感謝するのでした。
私は、せっかくお休みをいただいたのですから、今日は他の教会に出席して礼拝をささげようかなと思いました。連れ合いは、それなら私の出身教会・清水ヶ丘教会に出席しなさいというのです、言われるままに、その気にもなっていましたが、日曜日を前にしてやめてしまいました。清水ヶ丘教会は私が中学の時代から出席し始めた教会です。高校生の集い、青年会の集い等を通して育ったのです。洗礼を受けたのは高校三年生のときでした。将来は牧師になろうと決心したのも高校生の頃です。決心はしたものの、親の反対もあり、なかなか神学校にはいかれませんでした。そして、決心してから5年後に道が開かれ、神学校に入ったのです。最初の一年間は神学生として清水ヶ丘教会に出席しました。2年生になってから、他の教会を学ぶために清水ヶ丘教会を出ることになったのです。まず、2,年間は川崎教会に出席しました。その後、3年間は西荻窪にある曙教会に出席しました。神学生として出席するのですから、教会学校の務めや礼拝における奉仕をするのです。こうして他の教会に出席しつつ学んでいるとき、出身の清水ヶ丘教会が日曜日の説教に招いてくれたことがありました。他の教会で奉仕をしている出身神学生を励ますためでもあったでしょう。神学生ですから、まだ学びの途上であり、説教に対しては恐れ多いことでしたが、いずれは説教者として立つわけですから、受けたのでした。清水ヶ丘教会は今でも多くの人々が出席していますが、その当時も200名位の出席がありました。中学生の時から出席し始めたのですが、既にこの教会には二人の姉が教会員として出席しており、小学生の頃も時々出席していました。従って、教会の皆さんは私の小さい頃をも知っている方が多いのです。清水ヶ丘教会の講壇に立ち、不束ながら一生懸命お話をしたと思います。婦人会の皆さんの中には大きくうなずき、涙しつつ私のお話を聞いてくださる方がありました。礼拝が終わり、皆さんに挨拶をしたとき、「あのノブちゃんがねえ」と言い、また涙しておられるのでした。要するに、話の内容にうなずいたり、涙していたのではなく、小さい頃の私を知っているので、その彼が、今はこのようにお話をするようになった、というわけで心を動かされていたのです。
その後、神学校を卒業し、青山教会の副牧師に就任しましたが、その時代にも清水ヶ丘教会は説教者として招いてくれました。もはや牧師として講壇に立ったわけです。ところが、神学生時代に講壇に立ち、お話をした状況とあまり変わらないことを知るのでした。「あのノブちゃんがねえ」と言いつつ、私の成長を喜んでくれる姿なのです。いくつになっても親は親であります。私がたとえいくつになっても、「あのノブちゃんがねえ」は続くでしょう。もうかなりの人が天国に召されていますが、大きな教会は人も多く、まだまだ私の若い頃の至らなさを知っている教会員がおられるのです。
休みだから清水ヶ丘教会に出席することの気後れはまだ続いているということです。しかし、そうは言いながらも、出身教会の支えと祈りがあるからこそ、今の自分があると思っています。
聖書の言葉
「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイによる福音書9章37-38節)