鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

岩の上に家を建て…(回想の小学生時代)

今日は幼稚園の夕涼み会が開かれました。夏休みも終わりに近くなる頃、三日間の夏期保育があります。今年は23日から25日でした。そして、26日は夕涼み会です。子ども達はゆかた等涼しい姿で集まり、踊りやダンスをして過ごすのです。お父さんやお母さんも参加して楽しいひとときでした。外灯もありますが、提灯の光もムードを高め、興に入ったのですが、心配していた雨がぽつぽつ降ってきたので、早めに終了したのでした。夕涼み会といい、運動会等は家族の皆さんともお会いすることができ、卒業した在園児のお兄ちゃんやお姉ちゃんと出会えることも楽しみでした。ところで今日はまた一つの出会いが与えられ、何かしら、しまっておいた思い出がするすると出てきた思いでした。
一人のお母さん・Sさんから声をかけられました。いつも私のブログを読んで下さっているそうです。読んでいるうちに、私が横浜の金沢区で育つたこともブログに記しましたので、興味を引かれたといわれます。さらに金沢の何処かと聞かれましたので、六浦の三艘と答えました。そしたら、Sさんのお連れ合いは大道(だいどう)で生まれ育ったというのです。大道小学校のすぐそばだと言われます。私はその大道小学校で6年間過ごしました。そうするとSさんのお連れ合いは、私が今67歳ですから、約30年へだてた後輩になるわけです。なんか、こみ上げてくるうれしさを感じました。出身小学校の後輩がいるなんて、不思議な出会いであると思わせられました。
夕涼み会が終わって、パソコンにブログを記すとき、しきりと昔のことが思い出されました。私は敗戦後の最初の一年生です。そのころの大道小学校は木造平屋建てでありました。やがて平屋建て校舎の他に二階建ての校舎も作られ、5年生と6年生はその新校舎で過ごしました。担任の先生の思い出も、今でも鮮明によみがえって来ます。6年生のある日、男の子は教室に集まるようにとの知らせを受けました。放課後は上級生が一年生の教室の掃除をすることになっていたのです。掃除の途中でしたが教室に行くと、男の子達が窓際に並んでいました。先生が赤い顔をして怒っていました。一人一人先生からビンタを受けた後で、みな下を向いていました。私ともう一人が遅れて教室に入ると、皆にしたようにビンタを与えたのでした。私は教室に呼ばれた意味が分からないままに入って行ったのですが、先生の皆へのお説教を聞くうちに理解したのでした。クラスの中で、一人何をしても遅い男の子がいました。皆はノロマとか別の差別用語でその男の子を呼んでいました。その日の昼休みに、皆が面白がってはやし立て、いわゆるいじめをしたのです。そのことを知った先生が男の子を全員集め、一人一人ビンタを浴びせて諭したと言うわけです。一人の子が、鈴木君と○○君はその時いませんでしたと先生に言ってくれましたので、私は解放されました。先生のビンタに対して、僕は何もしてないのにと言い、別の部屋で泣いていました。でも、皆から差別されていた子に対して、集団でいじめた現場にいなかったとしても、同じような差別的思いは持っていたと思います。今の時代でしたら暴力教師として問題にされるでしょう。小学生の時に、差別への厳しい教訓を与えられたことは、その後の成長にどんなにか血となったことであるかと思っています。それほど厳しく、差別する者を叱ることができますか、今の先生たちは。また、親は受容できますか。
その当時の6年4組同窓会の知らせが2、3日前に配達されました。担任の先生を囲んで、昔を語らいましょうとのことでした。あの差別に厳しい先生なのです。残念ながら欠席の返事を出したばかりです。おそらく現役でいるのは私くらいなのかもしれません。年齢を重ねた皆さんと会ってみたいと思いますが、毎回都合があって一度も出席してないのです。
今日は、Sさんとの出会いといい、大道小学校6年4組同窓会といい、人生の原点に立たされた思いでした。
聖書の言葉
「わたしの言葉を聞いて行なうものは、岩の上に家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。」(マタイによる福音書7章24-節)