鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

心も思いも一つにし…(バルナバ献金の祈り)

数日前に送金したバルナバ献金の領収証が配達されました。領収金額を見ると11万円なにがしであるのです。こんなに送金した覚えがないので、誤配かなと思い表の宛名を見れば、確かに大塚平安教会となっています。改めて金額を記している面の宛名を見ると、他の教会の名が記されているのでした。事務上のミスかなと思いつつ領収ハガキを手にしていると、どうも厚みがあることに気がつく。そう、ハガキが二枚重なっている。どうやら切手の糊がはみ出て、重ねて投函したので、上のハガキについたまま大塚平安教会にたどり着いたという状況のようでした。当教会は2万1千円の献金でした。それに対して、くっついてきたハガキの教会はたくさんの献金をささげていました。もっとも、その教会は日曜日の礼拝は250名の出席であり、当教会は50名の出席なので、比率としたら同じということになるでしょう。
献金ジャワ島中部地震のお見舞い献金でありました。日本基督教団社会委員会が教団の1,700教会に呼びかけ、お見舞いを集めているのです。各教会はそれぞれの対応で献金をします。通常会計の中から献金する教会もあり、教会内で募金して献金する教会もあります。当教会は後者であり、バルナバ献金により教会に集う皆さんからおささげいただき、お見舞いとしたのでした。バルナバ献金は当教会の独特な名称でもあります。これは新約聖書使徒言行録に記された人の名前から得た名称です。イエス様は十字架にかけられ、死んで葬られてから三日目に復活します。その後、40日間お弟子さんたちに現れてから天に昇られたのでした。お弟子さんたちは、イエス様の教えをしっかりといただき、人々に伝えていきました。それによってイエス様を信ずる群れが増え教会が出来上がって行ったのです。最初の教会の人々は持ち物を共有し、群れにささげて共に歩んでいたのです。中でもバルナバは持っている畑を売り、代金をささげたと報告されています(使徒言行録4章32-節)。大塚平安教会はこのバルナバのささげる姿勢に示され、バルナバ献金箱を設置し、災害等で困難な状況にある人々への献金としたのでした。多くの場合、日本基督教団社会委員会が国内を始め諸外国の災害支援として呼びかける募金に応えています。今回はジャワ島中部地震へのお見舞いでありますが、これまでに起きた国内の災害、大きいもので阪神淡路大震災新潟県中越地震等にささげています。
新潟県中越地震は一昨年起きました。10月23日、その時、私は結婚式の披露宴の会場にいたのです。幼稚園の先生が結婚披露宴を横浜の港の近くで行い、お祝いの最中に大きな揺れがありました。横浜でもかなり大きく揺れていました。天井のシャンデリアがゆらゆらと揺れていたのです。そんなに大きな揺れなのに、会場側は何もコメントしませんでした。おめでたい席で、パニックになるのを懸念してぎりぎりまで発表しない姿勢であるようでした。その揺れが新潟県中越地震であり、忘れられない日となっています。地震の地域には当教会員の知り合いがいました。沖縄に転居した渡辺魁さんのお兄さんがおられたのです。やはり大きな被害でした。その時はバルナバ献金ではなく、お見舞金を集めたのでした。水害とか地震とか、あるいは外国の災害見舞いとしてバルナバ献金は常に祈りの献金箱となっています。
当教会としてジャワ島中部地震献金を7月末に終えたので、8月はバルナバ献金の目標がなくお休みとしていました。しかし、10月23日がやってくることを前にして、再びバルナバ献金により新潟県中越地震へのお見舞い献金としました。既にこの献金により送金しております。日本基督教団新潟県中越地震災害復興支援として全国募金をしており、目標額を1億5千万円としています。ところが阪神淡路大震災の時には数億円の募金が寄せられましたが、今回はなかなか集まらない現状でもあるのです。地震の地域を持つ関東教区は目標額の半分・7千5百万円を教区内で集めることを教区総会で決議しました。もう一度、祈りを深め、災害復興支援のためにささげたいのです。
聖書の言葉
「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言うものはなく、すべてを共有していた。」(使徒言行録4章32節)