鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

命を得る(「天国の特別な子どもたち」の訳詩者について)

二番目の娘・星子が帰宅し、夕食をしながら話をしているうちに、幼稚園の玄関ホールに掲げている「天国の特別な子どもたち」について話がおよびました。娘が言うには、この詩をインターネットで検索すればすぐに出てくるというのです。娘は私がこの日記に「天国の特別な子どもたち」について記しましたので、インターネットで検索したと言うのです。そしたら、同じ詩が紹介されており、この詩の重い意味を知ったというのでした。早速パソコンを開いて検索してみました。まさに同じ詩が出てくるのです。3、4件がネットに載せられていました。皆さんはご自分のお子さんに障害があり、この詩に出会い希望が与えられたのです。そして、自分たちに与えられて特別な任務としての使命を持つようになるのでした。
いろいろな方からこの詩について照会を受けます。これからはネットに掲載されていることをお知らせしましょう。改めて多くの人々がこの詩に出会い、希望を与えられているかを知るのでした。今までは、ドレーパー記念幼稚園における取り組みとしか思っていませんでしたが、全国のあちらこちらでこの詩との出会いがあり、感動の物語が展開されていることを知るのでした。その意味でも、ドレーパー記念幼稚園がこの詩を掲げながら、どんなお友達をも受け入れようとしている姿勢は祝福の取り組みであると、改めて示されたのでした。この詩が基ではありません。私達は神様のお心を頂き、どんなお友達とも共に過ごしたいと願っているのです。
昔、この詩にふれたとき、作詞者のお名前をエドナ・マシムラと読みました。そういうスペルであったと思います。今回、ネットで知ったことは読み方が違うということでした。しかし、当時の「キリスト教保育」の雑誌は、今回示されたスペルでなかったように記憶しています。弁解しているようですが、事実として報告しておきます。今回、知ることができた作詞者の名前のスペルは、Edna Massimillaです。このスペルであればエドナ・マシミラと読めるのです。この人はシスターで、知り合いのダウン症の子どもを持つ両親にささげたといわれます。
(ところで、この日記を24日になってもネットに公開しないでいましたら、次女の星子からメールが届き、訳詩者のコメントが公開されていることを教えてくれました。早速、閲覧しました。皆さんも、ぜひご覧になってください。)
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/1467/special-childTOP.htm
「天国の特別な子どもたち」を紹介した私の日記は8月2日でした。子ども達はどのような子どもでも、障害があるとかないとかにかかわらず、与えられた子どもは天から授かっているのです。この詩により親子の絆が深められ、祝福の歩みが導かれるのです。ネットに掲載された奥野昭美さんの一文をコピーさせていただき、以下に紹介します。
「私はダウン症児を生んだ責任は全く感じていません。したがって世間に対して恥ずかしいとか、後ろめたいとかいう気持ちはありません。でも、今だからこそ、こういうふうに胸を張って言い切れますが、やはり恵里衣が生まれた直後は、そう簡単に割り切れない複雑で混沌とした思いがありました。そんな私の気持ちを見事に立ち直らせてくれたのが巻頭にある『「天国の特別な子ども』という詩との出会いでした。初めてこの詩を目にした時、とめどなく涙があふれました。でも、その涙はもはやそれまでの涙とは異質のものとなっていました。何か救われた気がしました。それ以来、恵里衣は“天から授けられた特別な子ども”であり、私たちは神さまによって選ばれた“特別な親”であると確信しています。」
障害があるから特別な子どもではありません。私たちは幼稚園に通う一人一人が特別な子ども達と受け止めています。幼稚園の誕生会や子どもの教会の誕生祝福の時に歌うさんびかは「生まれる前から神様に、守られてきた友達の、誕生日です、おめでとう」です。一人一人が神様に守られて命を得ているのです。今日から三日間は夏期保育です。特別な子ども達との出会いが与えられています。
聖書の言葉
「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。」(エレミヤ書1章5節)