鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

この務めのために(園長パパと呼ばれながら)

今日から預かり保育が再開しました。8月中、二週間はお休みにしましたが、その他はあずかり保育を行なうのです。朝9時から夕4時までですが、4、5名の子ども達を預かります。お仕事をしているお母さんが預けますが、お母さんが仕事をしてなくても、家にいるより安全と言うわけで預ける家庭もあるのです。今週は、23-25日に夏期保育が開かれ、26日は夕涼み会が開かれます。そして、まもなく9月の始業となります。暑い暑いといっているうちにも、秋の足音がすぐ近くで聞こえているようです。また、楽しい幼稚園の生活を子ども達と共にしていきたいと願っています。
郵便局にいきましたら園児のミヤビちゃんがお母さんと共にベンチに座っていました。園長を見るなり、「園長パパ」と言いつつ手を振っています。園長も手を振りながら近づき、ハイタッチをするのでした。「今週は夏期保育で幼稚園に来るんだよね。楽しみにしているからね」と言いつつ、私は郵便の用紙に書き込んでいるのでした。ミヤビちゃんは「園長パパ」と繰り返しながら、園長の周りを歩いているのでした。子ども達は夏休みを家で過ごし、9月の始業日に会するとき、一段と成長していることが分かります。一ヶ月、見ない間にそれだけの成長があるのです。
それにしても、いつまでも「園長パパ」と言われていることを喜んでいます。もう「パパ」と呼ばれる年齢ではないのにと思います。それでいて、最近は「園長じいちゃん」なんて呼ぶ園児がいたりします。そういう呼び方には返事もせず無視するのでした。いつの頃から、「園長パパ」と呼ばれているかは定かではありません。いつの間にかそのように呼ばれるようになり、卒業しても呼んでいます。園長・牧師の家は教会の中にあり、牧師館は歩道橋に面しています。歩道橋を渡ってくる卒業生の子ども達が、書斎に向かって「園長パパー」と大きく声をかけながら通っていくのでした。この歩道橋の階段の途中から牧師館に入れるように造られています。公的な歩道橋なのに、民間の家への通路をつけるなんてと思われます。実は歩道橋を設置するときに教会の土地を提供したのでした。教会・牧師館は道路より少し高台にあり、歩道橋の中間あたりに入り口をつけるとちょうど良い進入路になるのでした。土地を提供したこともあり、公的な歩道橋ですが、牧師館への進入路をつけてくれたのでした。卒業したばかりの一年生の子ども達が、まだ幼稚園の余韻が残っているので、歩道橋の進入路あたりに来ると、「園長パパー」と声をかけながら学校へ向かうのでした。
私は大塚平安教会の牧師であると共にドレーパー記念幼稚園の園長であり、学校法人大塚平安学園の理事長を務めています。なかなか大変でもあります。それと共に、本来はそれぞれの人が任を持たなければならないのです。もともと教会の宗教法人立幼稚園でありましたが、1977年より学校法人立の幼稚園に移行しました。教会幼稚園が学校法人になると、教会から離れていく例がいくつかありました。そのようにならないために、大塚平安教会は新しく学校法人になる幼稚園と合意事項を取り交わしたのでした。「大塚平安教会の牧師は学校法人大塚平安学園の理事長、ドレーパー記念幼稚園の園長を兼任する」というものなのです。この合意事項があるため、牧師と園長・理事長兼任は大変であるから、別の誰かを選任するという訳にはいかないのです。しかし、教会の皆さんも牧師に重い務めをかけすぎるというわけで、この姿勢を検討するようになりました。そして、ついに今年4月に開催された教会総会で「合意」を変更したのです。「牧師は理事長、園長を兼任することもできる」とし、緩められた取り組みとしたのでした。牧師は理事長の責任を持ち、園長は別の人を選任すべきであると主張する人がいます。ところが、牧師本人は、理事長は別の人で、園長は牧師がしたほうが良いと思っているのです。(いつまでも園長パパと言われていたいからなのでしょうか。)
聖書の言葉
「神は御言葉を伝えるという務めをわたしにお与えになり、この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました。」(コロサイの信徒への手紙1章25節)