鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

この香は聖なる者たちの祈り(斎場で)

さがみ野ホームの利用者が去る8月12日に召天され、今日は告別式が執り行われました。葬儀は興伸典礼寺尾会館で行われました。綾瀬ホームにしろさがみ野ホームにしろ、最近は利用者の葬儀はホームで行なうのではなく、斎場で行なっています。ホームで葬儀が行われる場合、利用者の介助をしつつの葬儀は職員のかなりの負担でもあるのです。そのため、葬儀は斎場で行うことになり、利用者の何人かと職員の皆さんが列席するようになったのでした。両ホームとも興伸典礼の斎場を利用しております。
興伸典礼を利用するのは、私が大塚平安教会に赴任して、1年半を経たとき、笠倉正道君が若干21歳にして召天され、初めての葬儀で葬儀屋さんについては分からなかったのですが、当時農協とタイアップして宣伝していた興伸典礼に依頼したのが始まりでした。以来、教会の葬儀はもちろんですが、綾瀬ホームやさがみ野ホームの葬儀はいずれも興伸典礼に依頼するのでした。葬儀屋さんも教会の葬儀は心得るようになり、いちいち口ぞえしなくても準備万端整えてくれるのです。はじめの頃は親父さんの代でしたが、今は息子さんが取り仕切っていますが、教会との係りは変わることなく、教会の葬儀として請け負ってくれるのでした。今までは興伸典礼自身が斎場を持ちませんでしたが、教会に比較的近い場所に斎場を設けました。結構広い斎場であるので使いやすいのでした。
ついでに記せば火葬場の大和斎場は、私が大塚平安教会に赴任した頃は古い施設でした。その後数年して広域斎場として建てかえられ、とても良い斎場になりました。火葬前式をする場合、聖書を読み、お祈りをし、その後献花をします。皆さんが献花を始めると同時に、牧師は讃美歌488番「はるかにあおぎみる」を歌いだします。すると献花する皆さんも歌いながらお花をささげ、共にうたうのです。広い炉前広場に朗朗とこだまします。いよいよ火葬にふすとき、遺体が炉に入れられながら讃美歌405番を牧師が歌います。多くの皆さんは、あふれる涙で歌えないのですが、讃美歌を耳にしつつ送るのでした。「かみとともにいまして、ゆくみちをまもり、…また会う日まで、また会う日まで、神のまもり汝が身を離れざれ」とうたい終わる時には、炉の扉が閉まってゆくのでした。召天された方をよく存じ上げている場合等は、私自身が声を詰まらせながら歌うのでした。
大和斎場は荼毘に付す皆さんをお送りするには、とてもよい施設であると思っています。しかし、炉前広場は共通であり、ともすると仏教と重なります。こちらは讃美歌を歌い、あちらはお経を上げています。あちらは鐘等を鳴らすのですが、随分と大きく聞こえます。張り合っているな、と思いつつ、こちらも次第に歌声を強めるのでした? 遺族の皆さんは、葬儀が終わると、「牧師さんの素晴らしい讃美歌に送られて召天しました」というのです? 嬉しくなっている牧師に必ずチェックを入れる存在がいます。「また讃美歌の付点音符が間違って歌っている」と連れ合い。讃美歌488番は付点が多く、私はいつも間違って歌っているというのです。讃美歌ばかりではありません。式辞中、名前を間違えて言ったとか、○○が違っていたとかと指摘するのです。一応、反省をするのですが、次の葬儀でも同じ指摘をされるというわけです。
大和斎場の職員の皆さんとも顔馴染みになっています。霊柩車より先に大和斎場に着くので、私の顔を見るなり、「先生、ご苦労様です」と挨拶するのでした。お骨上げのときも、いちいち言わなくても、聖書を読み、お祈りをすることを知っています。さらに、お骨あげは二人が一つの骨をはさんで壺に入れるのではなく、一人一人が骨を壺に入れることも心得るようになり、そのように説明するのでした。
斎場は肉の体の締めくくりの場でもありましょう。賛美の声を高らかに終わりたいのです。

聖書の言葉
「この香は聖なる者たちの祈りである。そして、彼らは新しい歌をうたった。」
ヨハネの黙示録5章8-9節)