鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神と共に歩む人生(渡辺魁・富子夫妻を思いつつ)

明日は大塚平安教会の創立57周年記念礼拝であり、記念日礼拝後には幼稚園の庭で祝会を開催することになっています。ここ数年、祝会は幼稚園の庭でバーベキューを行い、いただきながらお祝いするのです。そのため、今日は壮年会の皆さんが集まり準備をしました。バーベキューで使う鉄板や大きなコンロです。そして、それらの準備が終わると肉や野菜の買出しに行くのでした。もしかしたら、明日は雨が降るかもしれない予報なので、とりあえず鉄板等はベランダに置きました。雨が降ったらシートをめぐらして行なうことになっています。
バーベキューの鉄板や大きなコンロを改めて目にしたとき、まざまざと渡辺魁さんを思い出すのでした。鉄板やおおきなコンロはいずれも渡辺魁さんが作ったものです。その渡辺さんは昨年5月に沖縄に転居されました。渡辺さんは、昔は鉄鋼関係のお仕事をしていたのですが、その後はキリスト教主義の学校に勤務され、学校のいわゆる雑用を一手に引き受けてお仕事をされていました。そのかたわら、教会や幼稚園の備品を何かと作ってくれました。バーベキューセットをはじめ石焼芋のお釜、教会の召天者記念礼拝で使う写真立て等です。幼稚園の図書室道路側に棚を作ったのも渡辺さんです。クリスマスには教会の窓ガラスにステンドグラスをはめますがその木枠、またその木枠を収納する鉄の箱も作りました。その窓の網戸も作られています。教会、幼稚園のどこを見ても渡辺さんの汗の結晶を見るのです。バーベキューを行なうときには、日曜日の朝早くから来て準備をするのでした。従って、何かと率先して行なう渡辺さんに頼ってしまいがちでした。渡辺さんが沖縄に転居された後、今までは渡辺さんに頼っていた壮年会であり、分からなかったらすぐに渡辺さんに電話して聞く姿勢を持っていました。今日の準備が終わったとき、もう渡辺さんに電話する姿勢を持たなくても、何とかできることを壮年会の皆さんは確認しているようでした。そうそう、クリスマスには教会の玄関前にあるヒノキに上り、イルミネーションを飾るのも渡辺さんでした。昨年のクリスマスは既に渡辺さんが居ないので、若い世代が担当したのでした。
渡辺魁さんは教会役員として常に選ばれていました。当教会は2年任期で1年は選ばれないことになっており、1年間休んでは必ず選ばれるのでした。会計を担当することもあり、教会の歩みを担ってくださっていました。お連れ合いの富子さんにも婦人会でのお交わりをはじめ家庭集会を開いたりして教会の宣教に仕えておられました。沖縄に行かれるまで財務委員を続け、礼拝後はいつも献金の集計のご奉仕をされていたのです。お二人が居なくなり、とても残念ですが、きっと転会した土地、また那覇中央教会でもいろいろとご奉仕をしていることと思っています。
鉄鋼会社に勤めている頃は日本全国の出張がありました。ダムの建設等のお仕事であったようです。12月の末にお帰りになるのですが、家に帰る前に教会に寄られます。一年間危険な仕事をしつつも無事に一年の終わりを迎え、そのご報告をしながら心から感謝をするのです。きっとお仕事の仲間と打ち上げをした帰りであり、少しく酒気を帯びていましたが、牧師のお祈りに続けて感謝のお祈りをささげるのです。そのようなことが数年続き、学校勤務に変わったとき、連れ合いと共にほっとしましたが、もちろんご家族にとってもお喜びなのでした。一時はお腹を痛めて入院されたこともありましたが、頑強なお体であり、教会のご奉仕をしつつの歩みを喜んでいたのです。
壮年会のご奉仕から、今日は渡辺魁さん・富子さんが思い出され、この日記に記しておきました。教会はこのような献身的にご奉仕くださる教会員によって支えられているのです。壮年会の皆さんも、お一人お一人が常に教会の宣教のためにお働きくださり、心から感謝している次第です。他の教会に証したいと思っています。大塚平安教会の宣教の原点でもあるのです。
聖書の言葉
「主がお前に求めておられるのは、正義を行い、慈しみを愛し、神と共に歩むことである。」
(ミカ書6章8節)