鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

心に残る動物たち

今日は日本基督教団役員会があり、朝10時ごろ、出かける前に幼稚園の職員室を覗きました。今日は日直として来ている室谷さんが見当たりません。園庭に目を移すと、ウサギを追いかけているではありませんか。ウサギを園庭にサークルを設けて入れておきましたが、地面をほって抜け出しというのです。出かける前でしたが、私も一緒に追いかけましたが捕まりません。一人の老人がウサギを追いかけて幼稚園の庭を走り回ったことについては6月26日に記しました。ある程度追いかけましたがやめました。人間よりすばしっこいのですから、無駄な努力です。こちらの頭を使えば捕獲できるのですが、今は時間がありません。サークルの下を空けておき、入ってくるのを待つことにして、私は出かけたのでした。午後3時頃、会議の休憩となったので幼稚園に電話して見ました。職員の室谷さんは、あれから1時間も追いかけまわし、ようやく捕まえたというのです。今日は比較的涼しかったので良かったと思いますが、暑さの中では大変なことでした。ご苦労様のことです。でも動物との出会いでもあるのです
いわゆるペットとして飼っている動物は、やはり犬ならば繋いでおくとか他の動物は籠の中に入れておかなければならないでしょう。我が家にはリスがいました。時々スキをねらって逃げ出すのです。家の中ですから、何処かにいるわけです。見つけてもリスのすばしこさは目を見張るものがあります。それでもタオルなどを上からかぶせて捕まえたこともあります。もうあきらめて放っておくと、いつの間にか籠に入っているのでした。結構長く飼ったと思いますが、死んでしまいました。生き物を飼っていると死に別れるので、もう飼うのは嫌だと連れ合いは言い、その後は飼いませんでした。そしたら最近、いつの間にかリスが飼われていました。老夫婦はたいした会話もないので、しきりにリスに話しかけている連れ合いなのです。
動物達との別れは随分と経験しています。日本の敗戦後の翌年に小学校一年生になった私です。小学生時代は食料難であり、ご飯の代わりにサツマイモの代用食で過ごしたこともある時代です。そのような家ですが、いつの間にか野良猫が住みつくようになり、しかも子どもを生んでしまったのです。その頃、私の上に三人の姉がおり、長姉は22、3歳かと思われます。二番目の姉は猫が大嫌いでしたが、他の子ども達は猫の出産を大いに喜び、そのまま我が家の物置に置いておくことにしたのでした。生まれたのは2匹でした。少し大きくなったとき、知り合いが子猫をもらってくれました。残った一匹の子猫と遊びながら育ったことが思い出されます。少し寅猫っぽい毛並みでしたので、トラと呼んでいました。そのトラも成育した時、親のミーコーとしばしば喧嘩するようになりました。それでトラはこの家に居られなくなり、姿が見えなくなりました。私は中学生になっていましたが、あちらこちらとトラを探しまわりました。「トラ、トラ」と言いながら探したというわけです。ある日のこと、家の周りは小高い山であり、山道を歩いていましたらトラが居るではありませんか。私の姿を認めたトラは立ち止まり、尻尾を立てていました。猫の喜びの表現なのです。頭をなでたり、トラに語りかけたと思いますが、トラはとぼとぼと歩き出し、林の中に消えていったのでした。それっきりトラと会うことはありませんでした。トラは親猫ミーコーが居るので帰れないのでした。
宮城の教会で牧会しているときにも猫を飼っていました。黒い猫であったのでクロと呼んでいました。三人の子ども達も、誰かが抱いているというわけです。宮城県沖地震が起き、その時クロはアップライトのピアノのそばに寝ていたのですが、地震と共にいなくなりました。ピアノが動いて部屋の中ほどまで来ていたのです。クロにとってもピアノが襲ってくるように思えたかもしれません。一度も姿を見せなくなりました。このほかにも猫や犬達との別れを書くとしたら、枚挙にいとまがないとは大げさですが、それだけ多くの動物達との出会いがありました。動物達との出会いが、今の私の精神構造になっていると思っているのです。
聖書の言葉
「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』」(創世記1章28節)