鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「思い悩むな」と示されつつ(牧師の「毎々の歌」)

今日は木曜日ですが、綾瀬ホームの礼拝はお休みです。8月は綾瀬ホーム、さがみ野ホームの礼拝は二週にわたってお休みとなっています。教会の集会も日曜日の礼拝以外はすべてお休みになっています。従って、本来なら木曜日は綾瀬ホームの礼拝、次に家庭集会と続くのですが、お休みなので書斎でのんびりしています。実際、何をして良いか分からない、と言うところです。しかし、日ごろから溜まっている事務仕事や整理があり、結局一日中ごちょごちょと過ごしたのでした。一日が終わり、夕食のテーブルについたのは8時頃でした。夫婦二人きりの会話はそんなにあるわけでなく、テレビでも見るかと新聞の番組欄を見ますが、見たいという番組はありません。年齢のせいもあるのでしょう。最近のテレビ番組は見る気にならないのです。おのずと3チャンネルをつけておきます。8時代は教養番組かお料理の番組が多く、見るともなく見、夫婦の会話をするともなく話しているのでした。最近は野球の実況が放映されなくなりました。野球と言えば巨人とどこかの球団との試合しか放映されません。ところが巨人があまりにも弱いので、観戦する人が少なくなったのです。そのため4チャンネル以外は放映されなくなったということです。これも良いことです。野球を見ながらの食事は夫婦の会話が途切れるからです。ところで、お料理番組を見ていて、いつも思うことは、試食するときは必ず「おいしいです」と言います。それは当たり前ですが、おいしくないときだってあるのではないかな、と思うのです。特にお昼の番組で、海や山の町に行って風物を紹介し、自慢の食べ物を試食するのですが、ゲストは必ず「おいしい」といっています。当たり前なのですが、私には不自然に聞こえるのでした。私が変わっているためかも知れません。
今日は一日中書斎にいました。書斎はブラインドを下ろしており、そこに二枚の手拭を掲げています。一つは手拭に書かれた「長寿の心得」で、これは8月5日の日記で紹介しました。今日は書斎でごちょごちょと過ごしながらも人生について思いを馳せたこともあり、結局もう一枚の手拭を見ながらの一日でした。もう一枚の手拭を紹介しておきましょう。

健康十訓(健康は嬉しい、美しい、素晴らしい、何はなくてもやっぱり健康)
1.少肉多菜(お肉ほどほど、野菜たっぷり、健康もりもり)
2.少塩多酢(塩分摂りすぎは高血圧のもと、酢は健康のもと)
3.少糖多果(甘い物は果物から、砂糖は肥満の直接切符)
4.少食多噛(腹八分目でよく噛み、幸せも噛みしめられる)
5.少衣多浴(薄着で風呂好きの人は、健康を身につけている人)
6.少言多行(べらべら喋っている間に行動を開始せよ)
7.少欲多施(自分の欲望のために走らず、他人のために走れ)
8.少憂多眠(くよくよしたって同じ、とっとと寝てしまおう)
9.少車多歩(自動車は確かに早い、でも歩けば健康への近道)
10.少憤多笑(怒ったときでもニコニコしていれば忘れてします)

いわば日本の格言的なものですが、生活の体験の中から生まれた言葉でしょう。それなら、私の信仰箇条、「毎々の歌」も記しておきましょう。
毎朝賛美、毎日聖言、毎週礼拝、毎月訪問、毎年献身、
毎度感謝、毎時奉仕、毎毎祈祷、毎回親交、毎晩アーメン

聖書の言葉
「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと
思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。」
(マタイによる福音書6章25節〜)