鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

聖書の言葉はわたしの道の光(テレフォンメッセージ)

今日の日曜日は、礼拝における説教がなく、ゆっくりとした日でした。毎年8月は牧師の休暇として、毎週日曜日の説教はお休みになるのです。今日は大塚平安教会の出身牧師であり、今は横須賀上町教会の牧師、また付属幼稚園長の森田裕明先生をお招きしての礼拝でした。森田先生は、幼稚園園長の務めもあり、その点、私と同じ教会での職務です。さすがにまだ40代なので、幼稚園への取り組みが違います。お話の中で、怪獣のお話をし、自ら園長怪獣になって子ども達と遊んでいると言うのです。体に痛みをもつほど、子ども達からキックやらもみくちゃにされ、体に青あざができているとも言われるのです。園長が全身で遊んでくれるのですから、子ども達も大喜びでありましょう。礼拝が終わると森田先生を囲んでの食事をいたしました。午後2時頃には散会しました。その後は特に予定がないので、書斎で過ごしてした。予定がないのではなく、高校野球の神奈川代表が出場するので、テレビ観戦をしようと決めていたのです。結果は神奈川が惨敗でした。
今日はほんとにのんびりとした日曜日であったなあ、と思っていたとき、連れ合いが「今日のテレフォンメッセージ、入れてないでしょう」と言うのです。はっと思いました。確かに入れてないのです。毎週、日曜日の朝、7時頃には新しいメッセージを入れています。今日は説教がないという気のゆるみから、テレフォンメッセージを入れることを忘れていました。あわてて今週のメッセージを入れたのでした。
テレフォンメッセージが始まるのは1999年からでした。他のいくつかの教会で実施しているので、当教会も開設することにしたのでした。着信専用の電話回線を引き、留守番電話の機器によりテレフォンメッセージを流すのです。日曜日の朝に新しいメッセージを入れます。それを毎週入れ替えること、今年で7年目を迎えています。聖書は「日々の聖句」(ヘルンフート兄弟団)によっています。毎年発行されていますが、大体、日々の聖句は同じでもあります。結局、メッセージも毎年同じものになりがちです。それでも多少は変更しつつお話しているのです。従って、このお話は前にも聞いたことがある、と思われる方もあるでしょう。聞かれたかもしれませんが、聞かれたことがどれだけ浸透しているかではないでしょうか。落語を聞くとき、同じものでも、いつも笑います。話の進展が分かっていながら、やはり面白いのです。「フーテンの寅さん」も何回も見ています。ストーリーが分かっていながら、やはり面白く感銘深く見るのでした。水戸黄門のテレビも同じです。物語は毎回異なりますが、最後には水戸のご老公ということで印籠を見せます。身分を明かすわけです。それによってすべてが解決するのです。
毎週日曜日に礼拝の説教をしていますが、毎回異なるようであっても、中心は同じなのです。そして、季節的に例話も同じものが話されます。例えば、5月の母の日の近くになると、「そろそろあのお話になる」と期待している教会の人がいます。言うまでもなく、花の日と母のお話であり、それにより私がキリスト教に導かれたと言うお話です。
テレフォンメッセージは受聴のカウントが記録されます。年間の平均は一回のメッセージに対して約50件です。毎週聞いてくださること、ありがたく思っています。いつも聞いて下さっているので、時々声がかれていたりすると、風邪引いたのかとか具合が悪いのではないかと電話をかけて安否を尋ねてくれるのでした。
テレフォンメッセージは週に一度ですが、このブログは毎日書いています。原稿用紙にして約4枚くらいです。毎日毎日良く書きますね、と言われています。そろそろ種切れになるはずですが、もう少し続けてみようと思っています。日々、神様のお心を頂いているのですから書いておかないわけにはいかないからです。

聖書の言葉
「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らすともしび。」(詩編119編105節)