鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

白髪の人の前では起立し(長寿の心得)

今日は土曜日で、明日の教会の準備をしつつ過ごした日です。もっとも、8月中は牧師の休暇であり、第3主日を除いては他の牧師に説教を依頼しています。約一ヶ月間も説教をしなくてよい教会は多くはありません。こんなにありがたい教会であり、感謝しているしだいです。第3主日も他の教会の牧師を予定したのですが、その教会の事情でお招きできませんでした。今年は出身牧師をお招きしています。第1主日は横須賀上町教会牧師の森田裕明先生です。森田先生は当教会で洗礼を受け、ドレーパー記念幼稚園の教師をしながら神学校に進み牧師になったのでした。そして、第2主日は大船教会牧師の渡辺誉一先生です。ドレーパー記念幼稚園を卒業し、教会学校に通いながら成長し、そして同志社大学に進み牧師になったのでした。第4主日は横浜上原教会牧師の古旗誠先生です。神学生の頃、一年間当教会を奉仕教会として出席しました。牧師になってから、機会があって当教会の副牧師を二年三ヶ月勤められました。いずれも出身であり、係った牧師の皆さんです。第3主日を予定した牧師も当教会出身です。こうして、8月はのんびりと過ごすことになっています。
お休み的8月なのですが、そういう訳にはいきません。日曜日の説教がなくても、週報を作ったり、教会の職務は見えない部分がたくさんあるのです。明日は説教をしない土曜日ですが、一日が終わり、連れ合いと共に食事をしながら話している中で、私が牧師を隠退すれば、たちまち知的後退になってしまうと、彼女が言うのです。今はなにやら忙しく過ごしており、牧師を辞めれば、なにもすることがないので、後退は必定と言うわけです。長生きするとは思っていませんが、後退しないで生きていたいと願っています。(連れ合いは自分だって、話をするときは「あれ、あの」と言っており、固有名詞がなかなか出てこないのにね)。
書斎の窓にブラインドを下ろしていますが、そこに二枚の文字入りの手ぬぐいを掲げています。大分前に相模湖インター前の茶店に入りましたらこの手ぬぐいが売られていたので買い求め、書斎に掲げているのです。書斎にこられる方はしげしげと見つめるのでした。実は一つの手ぬぐいの文字は97歳で人生を終えた父が、何かに書かれたものを持っていました。父は100歳まで生きることが目標でした。残念ながら届きませんでした。なんてことはない標語ですが、紹介しておきましょう。

長寿の心得(人生は山坂多い旅の道)
還暦 60歳でお迎えの来たときは、只今留守と言え。
古稀 70歳でお迎えの来た時は、まだまだ早いと言え。
喜寿 77歳でお迎えの来たときは、せくな老楽これからよと言え。
傘寿 80歳でお迎えの来た時は、なんのまだまだ役に立つと言え。
米寿 88歳でお迎えの来たときは、もう少しお米を食べてからと言え。
卒寿 90歳でお迎えの来た時は、そう急がずともよいと言え。
白寿 99歳でお迎えの来た時は、頃を見てこちらからボツボツ行くと言え。

還暦は既にクリアしていますが、古稀まで後3年です。それにしても97歳まで生きた父には尊敬します。父についてはいずれまとめて記したいと思っています。父の晩年後は厚生年金勧誘員を勤めていました。年金に加入するように、いろいろな人に勧める務めをしていたのでした。また、源平桃を育てては皆さんに株分けしていました。寺に行くと、今では見事に成長しています。他者の存在を見つめつつ生きること、神様のお心であります。

聖書の言葉
「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。」(レビ記19章32節)