鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

詩編と賛歌と霊的な歌(詩「天国の子ども…」への取り組み)

昨日は「天国の特別な子どもたち」と題する詩について記しました。その詩にまつわるいくつかのことを記しておきましょう。
この詩を読んだのは、1980年頃であったかと記憶します。当時の「キリスト教保育」という雑誌に掲載されました。1979年9月に大塚平安教会牧師、ドレーパー記念幼稚園園長に就任したばかりでありました。幼稚園の当時の主任がこの詩を私に示し、とても良い詩なので、書き写して飾っておきたい、というのです。飾るといっても、どのように飾るのか、何も思いつきませんでした。赴任してまもなく、とにかく一生懸命に宣教の業に励んでいた私は、毎月聖句を書いては教会の玄関前に掲げていました。それはベニヤ板、すなわちたたみ一畳の大きさに、水性のペンキで聖句を書くということです。毎月のことで、結構大変であったと思います。詩を掲げる課題を示されたとき、その手法で掲げることを思いついたのでした。空色の背景に黄色の字で「天国の特別な子どもたち」と題する詩を書き込んだのでした。そして額縁状にして掲げたのです。一週間くらい要したでしょう。どこに掲げるか。掲げるとしたら当事のホールでした。当時は木造平屋建てのホールがありました。その一角に掲げていたのです。しかし、当時は今のひよこ組に職員室があり、玄関というものがありません。保護者の皆さんはわざわざホールには行かないのです。
「天国の特別な子どもたち」がいつも皆さんに読まれるようになるのは、昔のホールの部分に園舎の増改築を行い、初めて玄関ホールができてからでした。今から14年前からです。毎年、新しい子ども達が入園しますが、保護者の皆さんは一度はこの詩を見つめるのです。あるいは園庭開放で水曜日にお子さんと共に遊びに来たお母さん達も、この詩をしみじみと味わうのでした。この詩は、お子さんが障がいを持つ持たないに限らず、親にとって子どもを深く見つめさせてくれるのです。
幼稚園では毎年度の終わりに文集「ぶどうの木」を発行しています。保護者の皆さんがお子さんを見詰めながら、その気持ちを書きとめ、原稿にしてくれるのです。毎回、50、60名の皆さんが原稿を寄せてくれます。数年前から、その文集の裏表紙にこの詩「天国の特別な子どもたち」を掲載しています。幼稚園の玄関に来なくても、家においても、いつでも読んでいただきたいからです。
「もう、子育てに疲れました。うちの子は、どうして落ち着きがないのでしょう。言って聞かせても、言うことを聞きません。叱っても、そのときはおとなしくしているのですが、すぐに同じことをします。」と一人のお母さんが言われました。そう言いながら、「実は、自分の子どもを、そんなふうに見ていたのですが、最近というか、あの詩を読んで以来、子どもに対する思いが変わりました。」といわれました。この子だからこそ、私の子であるという思いが強くなったといわれます。
玄関にたたずんでいるお母さんがおられました。ずっとたたずんでいるのです。その視線は掲げられている詩であります。食い入るように見ておられるようでしたが、流れる涙も見られるのでした。障がいを持つお子さんがいます。いろいろな幼稚園にいきましたが、いずれも断られたということです。こちらの幼稚園の様子を聞きに来られたのです。まだ、園長ともお話をしていませんが、玄関を入るなり、この詩が目にとまり、釘付けになったと、後で言われました。元教諭がこの詩をコピーして送って欲しいというので、ファックスで送りました。このブログに載せたので、これからはいつでもコピーできるでしょう。多くの皆さんに読まれることを願っています。

聖書の言葉
詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。」
(エフェソの信徒への手紙5章19節)