鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

天の国はからし種に似ている(スミさんが蜂にさされ)

今日は連れ合いのスミさんが蜂にさされて大騒ぎになったというお話です。書斎で執務していると、「奥様が蜂にさされて大変です」と婦人会の人が知らせに来てくれました。連れ合いは集会室のソファーに横になっていました。青い顔をしています。今まで外で仕事をしていたので汗びしょびしょです。蜂にさされたといいますから、顔が腫れ上がっているのかと思っていました。顔は青ざめていますが、腫れている様子はありません。どこをさされたのでしょう。右の親指の先だといいます。親指? 親指をさされて全身に毒が回ったといいます。さされたという部分にアロエーを付けていました。連れ合いが言うには、蜂さされにはアロエーがよく効くとのことです。以前にも蜂にさされ、アロエーをつけたら、すぐに治ったと言うのです。蜂にさされ、それっ、アロエーと思ったのですが、見当たらないので、隣の花屋さんに駆け込み、商売もののアロエーを切ってもらって付けたのでした。とにかく病院に行くことにしました。救急車を呼ぶ話まで持ち上がりましたが、蜂にさされて救急車というのも、なんだか申し訳ないと思いました。とにかく、スミさんを促して、汗でびしょびしょの服を着替えてもらい、車でいつも行くさがみ野中央病院に行きました。12時を少し過ぎていました。受付は12時までですが、蜂にさされて毒が回っているので、と少し大げさに言い、受け付けてもらいました。処置室で待つことまもなく、お医者さんが来てくれました。「蜂にさされたのね。大丈夫、大丈夫」といっています。私は廊下で待っていましたが、処置室の様子はよく聞こえます。連れ合いが「とても痛い」と言えば、「そりゃあ、蜂にさされたのだから、痛いでしょう」と言っています。結局、点滴をすることになり、一時間掛かるというので、ひとまず帰りました。
土曜日は教会のお掃除の日です。朝からご苦労様です。連れ合いは、教会の道路側が植え込みになっているので、整理をしていました。この時期になると、うっそうと雑草が生い茂り、見栄えが良くありません。時々整理しますが、すぐに生い茂ってしまうのです。かねがね気になっていたようで、婦人会の一人の方と共に雑草取りをしていました。そしたら、蜂にさされたという訳です。教会の道路側は植え込みになっています。木や花が植えられていますが、ついでに雑草も一緒に育つというわけです。昨年、5月に沖縄に転居した教会員がおられる頃は、よく雑草の整理をしてくれました。渡辺さんが整理するときは、根こそぎ整理してしまうので、本当にきれいになります。教会の皆さんは、きれいになった植え込みを喜びながらも、「あのきれいな花がないわ」、「あの紫の花もなくなっていますね」と小さな声で言うのでした。
スミさんは園芸、土いじりが大好きで、いろいろな花を育てています。植えて育てることが、喜びであると言っています。教会には土を耕す場がありません。貸してくれるというので、かなり遠いのですが、出かけては土いじりをするのでした。自転車で行かれる距離の場所もありましたが、車で行かなければ困難であるところの畑まで借りたのです。もちろん、送り迎えは私と娘の百合子でした。スミさんの喜びのために、と言いながら送迎者はぶつぶつ不平を言っているのでした。ところが、近年は借りられる畑がなくなりました。宅地となり、道路整備とかで畑ができなくなりました。幼稚園の隣の空き地にも畑を作らせてもらい、しばらくは楽しんでいましたが、そこも老人ホームが建設されることになり、畑はおしまいです。今はどこにも畑がないのでさびしそうです。でも、連れ合いは畑以上に皆さんの一人ひとりが気になります。むしろ、牧会という畑に打ち込んでいるのは、牧師以上ということでありましょう。誇大?
夕方、幼稚園の先生が体調を損ねているので、お見舞いに行くことになりました。毒が全身に回っているはずなのですが、もう治ったと言い、スミさんも一緒に行ったという今日の出来事でした。
聖書の言葉
「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
(マタイによる福音書13章31-32節)