鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

与えられた恵みによって(会堂清掃のことども)

土曜日は会堂清掃の日です。今日は第四土曜日なので壮年会が担当でした。壮年会は男性の集いです。会堂清掃は、以前は婦人会が毎週しておりました。男性は土曜日でも仕事がありできなかったのです。しかし、近年職務体制が変化し、土曜日はお休みのところも出てきました。また、定年で退職し、土曜日は特に仕事をしていない壮年の皆さんが増えてきたのです。婦人会が毎週のように会堂清掃をするのは大変でもあります。それで、壮年会が月に一度の割合で行うことになりました。さらに、幼稚園の教職員も、幼稚園としても何かと会堂を使用するので、月に一度の会堂清掃を行うことになったのです。それにより婦人会は月に二度または三度の会堂清掃となりました。
 日曜日に礼拝が行われるので、土曜日には会堂の清掃をして日曜日の礼拝を迎えるのです。このことはどこの教会も同じです。しかし、教会によって取り組みが異なります。都会の教会は、教会の皆さんが郊外に住んでいる場合が多く、会堂清掃のためにわざわざ土曜日には来られないのです。そのためお掃除をしてくれる人に日当を払って頼みます。あるいは清掃業者に委ねる教会もあるのです。私が神学生の頃、大きな教会の掃除をするアルバイトをしていました。その教会は二階席もあり、500人は入る会堂でありました。今から45年前のことです。その教会の床はコンクリートであり、箒で掃くと砂埃がもうもうと立ち上がるのです。砂埃が収まった頃合を見てベンチ拭きが始まります。その後、広い講壇を清掃します。そして、石炭ストーブを整えます。その頃は石炭ストーブでしたから、灰を片付け、礼拝中に使用する石炭の用意をします。石炭ストーブに石炭を入れるとき、普通は小さなシャベルで石炭のバケツからガラガラと音をさせながらすくい上げ、ストーブに入れるのです。礼拝中でもあり、石炭を適当な量にして新聞紙でくるめて入れるのです。ストーブは二箇所あり、石炭の準備をするのでした。会堂清掃は朝の10時頃からはじめ、終わるのは夕方の4時頃になっているのでした。日当は1,200円でした。そのうちの200円は婦人会からでありました。婦人会がわざわざくださるのは、やはり会堂清掃は婦人会の仕事と思っているからなのでしょうか。数年前にその教会に会議のため訪れました。今は床がコンクリートでなく、きれいな床になっていました。もちろんエアコンになっており、ストーブの時代をなつかしく思い出したのでした。
 信者が教会の清掃をすること、これは信仰に基づくものです。礼拝の場を清掃することは信仰のゆえに自ずと導かれてくるのです。東本願寺で三日間の研修をしました。これは日本基督教協議会宗教研究所が主催した研修会です。同研究上は毎年諸宗教を学ぶ研修会をしています。毎年参加しているわけではありませんでしたが、東本願寺の研修会ということで特に参加したのでした。私の両親が浄土真宗門徒でもあったからです。参加者は皆牧師です。牧師達が仏教の研修所、同胞会館に宿泊したのです。お寺に泊まっているのですから、お寺の日課にあわせなければなりません。確か5時に起床し、清掃が始まります。同胞会館に泊まっているのは牧師達ばかりではありません。全国から信者の皆さんがやってきています。夏休み中でもあり、小学生や中学生のグループも泊まっていました。もちろん大人の信者の皆さんも大勢いました。それらの皆さんがいっせいに掃除を始めるのです。大体は二泊三日の予定できているようですが、入れ替わり次のグループが来ますから、毎日清掃が行われているのです。本山を清掃することが目的ですが、本山参りでもあります。掃除は1時間ほどです。終わると本堂に集まり、お釈迦様と親鸞聖人にお経をささげるのです。私たち牧師はお経を唱えてお参りすることはありませんが、日課として本堂に座っているのでした。
 本山を清掃すること、全国から喜び勇んでやってくる信者の皆さんに敬服いたしました。お寺において清掃業者に委託するなんて考えられないことなのでしょう。
聖書の言葉
「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。」(ローマの信徒への手紙12章6-7節)