鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神の国を喜ぶ皆さん(ホームの追悼記念礼拝)

今日は綾瀬ホームでは追悼記念礼拝が行われました。一人の利用者が去る6月25日に召天されました。自宅で葬儀が行われましので、利用者の数人が列席しただけであり、改めてホームの礼拝でお別れの時を持つことになったのでした。以前は「園生」と称していましたが、今は「利用者」と称しています。ホームを利用して生活するという意味でありましょう。召天された利用者Sさんは1997年に綾瀬ホームに入所します。それまではいろいろな仕事をしながらお母さんと共に生活していましたが、お母さんが亡くなられたことにより綾瀬ホームに入所することになったのでした。約10年間のホームの生活でしたが、皆さんと共に楽しく過ごされてきたとのことです。62歳でした。追悼記念礼拝にはお兄さんや弟さん夫婦も来られ、挨拶をされていました。礼拝ではSさんの今日までの歩みを職員が簡単にまとめたメモを渡されていますので、利用者の皆さんに紹介しながら、Sさんがどんなにか喜んで皆さんと共に過ごしたか、そして皆さんもSさんを喜んだかをお話したのでした。礼拝が終わると一同で献花をいたしました。職員を含めて約100名の皆さんがお花をささげました。車椅子に乗せられながらお花をささげる利用者、抱きかかえられるようにして献花する利用者等、それぞれの姿でお花をささげるのでした。利用者の一人が、遺影を見て、「かわいいねー」と言いました。62歳であっても、綾瀬ホームの生活が常に喜びであったかの証しとしての遺影なのでした。
綾瀬ホーム、さがみ野ホームは、以前は利用者が召天された場合、ホームで葬儀を行いました。従って全員が葬儀に参列し、お花をささげることができました。しかし、今は斎場での葬儀となっています。そのため、葬儀には代表の利用者が職員と共に数人が参列するのみです。それで、後日追悼記念礼拝をささげ、お別れを行うのでした。

ホームは知的障がい者の施設です。知的障がいを持っていますが、礼拝をささげるということをよく心に受け止めています。いわば礼拝を心待ちにしているのです。木曜日の綾瀬ホームの礼拝を私の都合で休んだ場合、その次に出かけた木曜日の礼拝では、利用者の皆さんから次々に休んだことを指摘されるのでした。礼拝では大きな声で讃美歌を歌いますし、主の祈りも声を高めて唱和するのでした。その礼拝ではイエス様の教えをお話します。イエス様のお心に生きることが、神様の国を生きることであり、そしてそのまま永遠の神の国に導かれることをもお話しています。利用者の皆さんは死を迎えることを真に受け止めていると思っています。葬儀は神様の国、天国に行ったしるしでもあるのです。前に進み出て献花をするとき、召天された利用者への思いを深く持ちながら手を合わせるのでした。涙しながら献花する利用者もいるのです。ホームの利用者になったゆえに多くのお友達からお別れをいただくのです。それは祝福の人生であったと言い換えることができるのです。

一人の利用者の場合を紹介しましょう。ホームを利用して生活し、キリスト教の教えをいただきながらの生活をしたお子さんが召天されたとき、葬儀はホームで行われ、もちろんキリスト教の葬儀でしたが、ご両親はお子さんがホームを利用することでキリスト教を理解され、受け止めておられました。天国へ行ったことのしるしとしてのキリスト教の葬儀にふれたとき、深く神様のお心に示されたのです。以来、ご両親で大塚平安教会の礼拝に出席されるようになり、キリスト教入門講座に出席されたりし、そして洗礼を受けることへと導かれたのです。利用者の皆さんは自らの生きる姿において神様のお心を証しているのです。

他の利用者においても、ご家族はキリスト教の葬儀に感銘を覚えられます。そして、多くの皆さんが献花してくれることで、利用者がどんなにか幸せな人生をこのホームで過ごしたかと示されるのでした。葬儀は利用者の力強い証しであるのです。

聖書の言葉
「神は、その独り子をおあたえになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書3章16節)